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2008年7月23日 (水)

「明け取り式」は「テム・レイの回路」だったのか?

なぜ中村政五郎氏は自費出版という形をとってまで、旧式となっていた「明け取り式」を推奨したのか?

もう一度、「煮え取り」と「明け取り」の違いを説明します。

「煮え取り」とは、検蒸後、すぐに甑から米を取りだすという、現在行われている方法です。現在では、「煮え取り」という言葉が存在しないほど、当たり前の方法なのです。

これに対し、「明け取り」は、「夜中甑」と呼ばれた午前3時に甑から蒸米を取りだす方法の際、夜が明けるまでそのまま蒸米を甑に置いてから取り出す方法を指します。

両方の用語が出てくる文献として、「蒸米からみた酒造」が出版された約12年前、大正8年に熊本税務監督局内、鎮西税務研究会において発行された「通俗 清酒醸造法」があります。

時の熊本税務監督局鑑定部長は中村政五郎氏です。

さすがに中村政五郎氏の指導下にあっただけに「蒸きょう(米を蒸す工程)」の項目は詳しいのです。

しかし、「明け取り」に関して、避けるべき方法であるとし、「極めて無頓着な原始的醸造場の外は採用していない」と厳しい評価を下しています。

約12年間に何がおこったのか?

「日本酒復権への第一歩」で、野白金一氏との論争に敗れた話をしたことがありました。

ヒントはここにあります。

これが大正8年(?)に起こった「世紀の大論争」。「膨軟麹」と「硬縮麹」の論争でした。

この時は、野白氏の「硬縮麹」に軍配が上がりました。

酒造りの本場、灘の丹波杜氏集団から神様の如く尊敬されていた中村氏のプライドはズタズタにされたことでしょう。

いままでうまくいっていた「膨軟麹」の何がいけなかったのか?

灘地区と九州地区の米質の差、技術水準の違い、気候の違い、様々な理由があったと推測されます。

その中で酒造りの根幹とは何か?を自問した結果、失敗に学んだ中村氏の結論が「蒸米」だったのでしょう。

技術的な改善方法として、「明け取り」という忘れ去られた手法を蘇らせ、硬く蒸して熟まして軟化する、「硬蒸熟軟式法」を編み出しました。

当時の常識では考えられない方法だったので、活字にする必要があったのです。その使命感が素晴らしいですよね。

別に私利私欲のためではなかったのです。

「蒸米からみた酒造」

この本を受け取った人の反応はいかなるものであったのでしょうか?

理解できなかった人は、「こんなものを・・・」と言って、捨ててしまったかもしれないですね。

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コメント

すみません。「テム・レイの回路」ってなんですか?

投稿: mikami | 2008年7月30日 (水) 18時26分

mikamiさん、はじめまして。

「テム・レイの回路」は、「機動戦士ガンダム」で、アムロ・レイの父である「テム・レイ」氏が開発したガンダムの性能を向上(?)させるための回路のことです。

酸素欠乏症の後遺症で頭がおかしくなっていた父テム・レイが久々に再開したアムロに渡したこの回路は、明らかに時代錯誤の古臭い回路で、これを受け取ったアムロが、「こんなもの!」と言って投げ捨ててしまったという、逸話を残しました。

なぜか子供心に印象的な場面だったので引用させていただいたのですが、ピンとくる世代が狭かったようです。

昨年、コンビニのくじの景品で、外観がそっくりのUSBハブが作られたそうです。

まじめに答えるのも何だか・・・。


投稿: わがまま店主 | 2008年7月31日 (木) 15時36分

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