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2008年11月17日 (月)

椿説 千歳山大仏

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平泉寺(へいせんじ)の大日堂を尊崇した山形城主 奥平昌章は、34回も参詣したと伝えられています。

この雰囲気を味わったら、その気持ちもわかる気がします。

奥平昌章公は28歳でお亡くなりになったということなので、毎年必ず参詣したのでしょうね。

ちなみに、奥平家はその後、宇都宮藩~宮津藩を経て中津藩となります。中津藩と言えば、福沢諭吉を輩出した藩ですね。

さて、この大日堂の横手を通り抜けていくと、白山大権現~宗五郎稲荷~平清水観音~平清水公園へとたどり着きます。

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平清水公園は、桜の名所としても知られていますが、現在「安全地蔵尊」が建っている場所に「千歳山大仏」が存在していたのです。

大仏殿六角堂は、寛文12年(1672年)に奥平昌章公によって、「山形のかざり荘となし給う精舎」として創建された、と伝えられています・・・、が、問題はここです。

奥平昌章公が生まれたのは寛文8年(1668年)のこと。

山形に末期養子として迎えられたのが1672年。

たった4歳の山形に来たばかりの殿様が「大仏が欲しい・・・」などと渋いことを言い出すわけがありません。キム・ウンヨン君レベルのIQをお持ちなら話は別ですけれども。

加えて、奥平昌章公が宇都宮藩に移ってからも参詣し続けたのは平泉寺大日堂。

たまたま大仏堂が創建した時にお殿様となったのが奥平昌章公だったのでは?という疑問を抱いていたんですよね。

なぜ、千歳山に大仏殿が必要だったのでしょうか?

それは、先代の時に起こった、奥山家の家臣同士を巡って起こった江戸を騒がした大事件が原因だった、と考えます。

大事件の名は「浄瑠璃坂の仇討」。

赤穂浪士の仇討の参考となったと言われるこの事件。

そこで亡くなった多くの家臣たちを弔うために建立された、という説を私は唱えさせていただきます。

奥平家臣団が言い出したのか、先代である奥平 昌能公のどちらが言い出したのかは定かではないですけどね。

ここに平清水の新しい歴史秘話が一つ生まれました。

ところで、奥平家は宇都宮藩から来て、また宇都宮藩へと移封しました。

「正酒屋 六根浄」にも、宇都宮から好敵酒が来ております。

Photo 「澤姫 生酛(きもと)純米 真・地酒宣言」

1.8L 2,650円(税込)

720ml 1,350円(税込)

香味が春先より複雑になってきています。

速醸酛だと、熟成に伴って苦味がでたりするんですが、良い生酛ってバランス良く熟成する感じがします。

ぜひ常温または燗にして飲んでいただきたいお酒です。

栃木県酒は、今後も要注目ですよ。

ネットでのご注文はこちらから。

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