「ほんものを食う会」~寒河江善秋氏を偲ぶ~には、2通の大物政治家からの祝電が届きホテル関係者を大変驚かせておりました。
一人は羽田孜・元内閣総理大臣。
もう一人は、野田佳彦衆議院議員。民主党 国内生産酒を考える議員連盟 会長名義での祝電でした。
野田代議士の文面からは、寒河江善秋氏のことをよく調べているようで、善秋氏の業績を称える文章が書いてありました。
祝電をいただき誠にありがとうございました。
会の後で、お二人のことを調べるうちに、共通している点に気がつきました。
MRA(道徳再武装)という組織と関わりがあるという点です。
寒河江善秋氏を知る人物からは善秋氏がMRAという活動をしていたことを聞いていました。
羽田孜氏はMRAから現在ICという名称に変わっている組織の特別顧問。
野田佳彦氏はMRAの影響を受けて設立された松下政経塾の第一期生。
MRAという組織、調べると大物政治家や大財閥・大物経済人が集まっているんですね。
歴史を遡れば、吉田茂、片山哲、鳩山一郎、岸信介、福田赳夫、中曽根康弘などの歴代首相の名がMRAに関係者した人物の中に見えます。
住友、三井などの大財閥も支援団体に名を連ねています。
MRAという組織は、反共の支援組織として戦後の政界に大きな影響を与えてきたのではないか、と推測します。
現在の政局にも何らかの影響があるような気がします。
麻生太郎・内閣総理大臣がらみで言えば、妹の雪子さんの夫は相馬家三十三代当主相馬和胤氏。相馬和胤氏の母は、国際MRA日本協会の名誉会長だった相馬雪香さん。
対する民主党も、鳩山由紀夫氏は言うまでもなく、党首争いをしている岡田氏のイオンがMRA(現IC)の協賛法人だったりと自民党や民主党などの保守政治家とどこまでも縁が深いことがわかります。
小沢一郎氏が首相争いから脱落したのは、もしかしたらMRAに所属していない小沢氏が財界の支持を得られなかったから・・・、ということは考えられないでしょうか?
まあ、憶測でものを言うのはここまでとして、MRAと寒河江善秋氏のつながりは「日本の進路を決めた10年」(元・MRA日本駐在代表バーゼル・エントウィッセル著 藤田幸久・訳 ジャパンタイムズ社刊)という本に載っております。
1950年代になると、大きな社会変動により地方青年の不満が募ることとなり、社会的活動を組織化する集団が現れました。その中でも日本青年団協議会(青年団)が圧倒的規模と影響力を持ち、共産化を憂いた一万田大蔵大臣がMRA幹部と会うように指示し、日青協幹部がMRAハウスに訪ねるようになった経緯があり、その次に続く文章の中で寒河江善秋氏が登場します。
「(前略)その一人が寒河江善秋で、古参で最も影響力のあるメンバーであった。諸事に精通した彼は戦後の状況に幅広い展望をもっていた。同世代がかかえる問題の解決策をいつも見出していたのが彼であった。しかし彼は本来、芸術家肌であり、陶芸のロクロを回している時が最も楽しいときであった。」
1956年に寒河江善秋を団長とした訪中団が中国を訪問した際、周恩来は寒河江氏にサインを求めたり、「寒河江さん、あなたが作る焼き物について聞かせてください」と語りかけたりしたそうです。
労働組合幹部や偉い作家が日本から招待された中で、寒河江善秋氏が一番の上席に与えられ、最初のあいさつを求められたことがセンセーショナルな話題となりました。
おそらく、中国共産党は寒河江善秋氏の全国400万人の若者農民への影響力を重視し、取り込もうとしたのだと思います。
寒河江善秋氏がここで共産主義にかぶれていたら、日本の歴史が大きく変わっていたかより多くの血が流れた可能性があります。
しかし、ここが寒河江善秋氏の偉いところで、周恩来氏を尊敬することはあっても共産主義にかぶれることがありませんでした。
”徹底的な個人主義者”であった寒河江善秋氏は戦争体験により、イデオロギーにたいする嫌悪感が身に染みていたのです。
ただ、寒河江善秋氏の報告を受けたMRA幹部の衝撃は想像に難くありません。共産化の危機感。
さらには翌年(1957年)、ソビエトから青年団にモスクワへ500名招待したいという招待状が届いたそうです。青年団左派はこれを期に勢いづこうとしていました。
MRA日本はMRA創始者のブックマン博士に手紙を送り、対抗策を頼みました。
そこで実現したのがMRAマキノ世界大会への青年団100名の派遣だったそうです。
このときの通訳団の一人に先述の相馬雪香さんもいました。
このMRAマキノ世界大会への派遣の成果により青年団の穏健派が勝利することとなったそうです。
ちなみに「ほんものを食う会」で「新甘夏」を届けてくれた方の名をMRAマキノ世界大会参加者名簿に見ることができました。
以上、「ほんものを食う会」から調べてわかった日本の現代史でした。
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