わが道を行く
今週の月曜日に、ここ平清水から見て千歳山の裏側にある妙見堂へ行ってきました。
妙見堂の境内に、先日の記事「ダムの中のダムはムダの中のムダ」で、青年団と交渉にあたった山形県総務部長をしていた堀田政孝氏の記念碑があります。
記念碑には、
「わたしのたどる
ひとすじの道はけわしい
幾多の苦難があることだろう
しか志、わたしはわが道を行く
堀田政孝」
堀田政孝氏は東京帝国大学法学部を出て昭和15年に内務省に入省。戦後、山形県総務部長として迎えられ、山形の地方自治の確立に尽力した人物です。
当時、全国に先駆けて行われた山形県連合青年団による「公明選挙運動」、「産業開発青年隊」は、寒河江善秋氏の優れたアイデアと積極的な行動に加えて、県側の堀田政孝氏の協力があって大きな運動となり得たのでしょう。
堀田氏はその後、防衛庁へ進み人事局長までなりますが、官を辞し、政治の道を選び、今から40年前の昭和44年に晴れて山形一区から衆議院議員となります。
しかし、念願叶った一期目の任期途中においてお亡くなりになりました。享年54歳。
短い任期ではありましたが、ここ「正酒屋 六根浄」のある平清水を流れる恥川(はずかしがわ)の河川改修の際に、恥川が重要河川認定を受けることで、地元住民の負担が軽くなったのは、地元の陳情を受けた堀田政孝代議士が尽力したおかげであったと、七右ェ門窯の祖父が申しておりました。
堀田政孝氏の記念碑の前には秘書をしていた故・新関善久県会議員の記念碑。
しかし、記念碑は建てた関係者以外に見る人も少なく、悲しい存在ですね。
妙見堂の参道途中にあった兵隊さん石灯籠。意図がよくわかりません。
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