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2009年10月19日 (月)

ダムの中のダムはムダの中のムダ

タイトルは単なる言葉遊びで政治的な意図はまったくありません。

現在、山形で国が行っているダムの直轄事業として「長井ダム」があります。

来年の完成予定ということで、完成後は、大きな人造湖「ながい百秋湖」が生まれることになります。

既に試験湛水が始まったそうで、今まで使われていたダムが水没し、姿を消すという変わった現象が起こることになります。

水没するダムの名称は「管野ダム」。

このダムは約60年前に全国的に注目されたダムでした。

その当時は、「野川ダム工事」として注目されていました。

農家の次三男の雇用対策として全国に先駆けて発足した山形の「産業開発青年隊」がモデル青年隊として現場に入ったダム工事。

1952年5月のことでした。

当時、山形県は寒河江善秋氏を中心として青年団活動が活発で、自分達で積極的に社会矛盾を解決しようとする様々な試みをしていました。

「産業開発青年隊」もその一つ。後に青年海外協力隊へとつながる源流がここにありました。

しかし、青年隊に待ち受けていた現実は・・・。

1952年9月1日付の山形新聞は以下のように伝えています。

「産業開発青年隊の工場現場である野川ダムでは今一日から十二時間二交替の突カン工事に入るので、青年隊がもしこれに欣然参加してくれるならよし、さもなくば青年隊は下山してくれという意見となり、県青連では『それでは話がちがう、われわれは労務者たることが目的でない、働きつつ学ぶのが目的できた』と主張し、ここに問題は破局に当面するに至り、青年団としては、当局の口先の激励だけで実質的支援のない現在ではこの事業は困難である、残念だが一時解散して再起を図るかどうかについて慎重協議の結果、三一日午後五時山形で高桑、寒河江、本田の三幹部と堀田総務部長が面会、ギリギリの交渉をしたが、当局としては『解散はしてほしくない』といい、青年団は『そんならもっと本腰を入れてくれ』と詰めより、結局二日堀田部長と団幹部が現地を視察ついで県として正式に農林省と交渉し補正予算の内容を確かめ県の責任で予算確定前に支出できる金があるなら思いきって援助することを約し、一応最悪の事態を切りぬけた。だが青年団としては県当局のお座なりな支援に不満を表明している。……(中略)……高桑団長は『県も農林省も口先きだけで実のあることは何一つせず、世間には次三男対策を大きく宣伝しているが、私達はもうこんな口頭禅では我慢できない、こんな問題は一青年団のやれる問題じゃない、私達は限界を越えて頑張ってきた』と語った。」(法政大学大原社研HP 日本労働年鑑 第26集 1954年版「山形県野川ダムの青年隊の実態」より抜粋)

現場の仕事はハードで学習どころではなかったようです。

結果、全国的に注目を浴びたこの試みは、11月15日をもって野川ダム青年隊は解散となり苦い教訓を残すこととなりました。

しかし、翌年から農林省、建設省が青年隊事業に本格的に乗り出すことになったのです。

かつて注目を浴びた野川ダムこと管野ダムは、ひっそりと約60年の歴史に幕を閉じます。

産業開発青年隊構想を実現化させた寒河江善秋氏の名前を冠した「純米吟醸 善秋」。

平成20BYは残りわずかになってきました。

お早めにどうぞ。

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コメント

懐かしい名前が出てきましたね。

高桑喜之助さん、本田健輔さん、それに後に衆議院議員になられた堀田三でしょうかね。

ともあれ、色々ありがとうございます。

投稿: 寒河江 英明 | 2009年10月23日 (金) 23時09分

失礼しました。堀田さんと書いたつもりが堀田三となってしまいました。

投稿: 寒河江 英明 | 2009年10月23日 (金) 23時11分

寒河江英明様、大変お世話になっております。

いつも勝手にお父上の名を記事にして申し訳なく思っております。

しかし、世間の人にかつて山形からこんな凄い人が出たんだ、ということをもっと知ってもらいたい気持ちが強いんです。

ところで、記事にあった「野川ダム工事」当時の山形の青年団は人材に恵まれ、それを理解した行政担当の協力があって全国的に注目される存在となったんでしょうね。

官に頼るのではなく、自分達で時代を切り開いていく行動力に感心させられます。

堀田さんは衆議院議員任期途中で亡くなられた堀田政孝氏のことですよね。

堀田氏の選挙のときは善秋氏もずいぶん熱心に応援していた、と舩山達郎さんから聞いたことがあります。

今後も色々とお話を伺うことがあると思いますが、よろしくお願いいたします。


投稿: わがまま店主 | 2009年10月24日 (土) 16時52分

私が青年海外協力隊でタンザニアに赴任する時、当時既に衆議院議員になっていた堀田さんと親父が、蔵王温泉で一泊で送別会をやってくれました。
今思うと懐かしい思い出です。

投稿: 寒河江 英明 | 2009年10月24日 (土) 22時52分

堀田氏とお父上は仲が良かったんですね。

お二人とも若くしてお亡くなりになったというのは山形にとっても大変惜しいことでした。

善秋氏と一緒に山形県連合青年団で働いていた進藤さんとお話をしたときに、なぜ善秋氏の業績が後世へ伝わっていないのしょうか?と聞いたことがありました。

進藤さんによれば、善秋氏の周りの人が早く亡くなってしまったのが原因ではなかったか、と申しておりました。

進藤さんは「純米吟醸 善秋」が出たことを大変喜んでおられ、善秋氏が亡くなった今でも毎日のように思い出す、と言っていたのが印象的でした。

ところで、堀田政孝氏のことを調べていたら、ここから近くのお寺に記念碑が建っているということなので近々行ってみようと思います。

投稿: わがまま店主 | 2009年10月25日 (日) 12時58分

進藤さんも懐かしい名前です。確か上山でしたね。

親父の業績が意外に伝わらないのは、多分に親父の生き方に起因してると思います。団体においては常にNO2か、NO3に位置し、絶対トップに就かなかったというのが大きな原因だと思いますよ。その点が末次さんなんかと決定的に違います。

それと、決定的な原因は親父の周りの人が長生きしてないというより、本人が早世したことだと思います。歴史は長生きした人が創るんです。業績もみんな長生きした人が自分のものにしてしまいます。それは仕方のないことなのかもしれません。

でも貴君のように、歴史に埋もれてしまった人に再び光を当ててくれる人も現れます。世の中捨てたものではありませんね。

心から感謝しています。これからもよろしくおねがいします。

投稿: 寒河江 英明 | 2009年10月25日 (日) 20時31分

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