« 蒸米その可能性の中心 | トップページ | 悲しき「正酒屋 六根浄」 »

2009年11月 3日 (火)

まずいはうまい、うまいはまずい~文化と嗜好との狭間で~

「文化の日」ということで、「『香り』という病」にとりかかる前に、日本酒の文化と嗜好との関係について。

「何だかんだ言っても要は旨ければいいんだよ。」

初心者であっても経験を積んだ方であっても、お酒を消費する立場の人すべてが使うことができる大変便利な言葉です。

日本酒業界のほとんどの造り手や売り手はこの言葉に対する防御策を持たず、言われるとオロオロしてしまうように見えます。

ワインの世界では許されなくても、日本酒の世界では易々とこの発言が許されてしまう。

発言の自由さが日本酒のいいところでもあるのですが、日本酒文化の深化につながる言葉でないように感じています。

それでは、先の発言に対しどう対応すればいいのか?

どんな文化にも体系があり、体系を知ることなしに文化を語ることはできません。

「文化」とは美意識の共有が歴史を経て「型」として成立したものを指します。文化の中には物事のモノサシが出来上がります。

日本酒の味で言えば、「五味の調和」が取れた状態を日本酒の最上の姿とします。「甘・酸・辛(もしくは旨)・苦・渋」が一体となって、さりげない姿になる。これは日本人の美意識の投影であるような気がします。

これとは反対に、個々人の味覚の現れと好みは「嗜好」ということになります。

当然、文化と個人とはモノサシの尺度が異なるわけで、文化と嗜好の間では、「まずいはうまい、うまいはまずい」ということが常に起こりうるわけです。

文化の中での「うまい」が、個人のモノサシでは「まずい」ということがある。その逆もまたしかり。

人は「うまい」と信じるではなく「うまい」と感じます。「うまい」という主観は信念ではなく「訪れ」です。自分の意思で動かせるものではありません。

日本酒を覚えたての人は、「香り」「甘味」があると「うまい」が訪れやすいようです。

このことは幼少の頃に味覚と言葉を覚えた経験からもたらされたものだと思います。

離乳食や甘いジュースを口にして最初に覚える言葉が「甘い」であり、その時の身体的要求が充足されたときにもたらされる満足感が「うまい」であったわけです。

「甘いはうまい」は人間の味覚における冒険のスタートなのです。日本酒においても同じことが言えるようです。

しかし、「甘いはうまい」が「甘いはまずい」になりうるのが人間の味覚の面白いところなのです。

人は「ありのままの味」を楽しむ段階から、食だけでない様々な経験をすることで「味の周辺」をも楽しむようになります。そうすると、「甘い」=「うまい」だけでない、より精神的な「うまさ」が見えてくるようになります。

修練により、一見、虚無的な味に色づけできる能力が備わってくると、「まずい(一般的な嗜好で見た時)はうまい」が「信じる」のではなく「訪れ」によって告げられます。

我慢ではなく、「甘いはうまい」と同じ「まずいはうまい」にも身体的快がやってくるのです。

「甘いはうまい」が本能的欲求の充足とすれば、「まずいはうまい」は精神的欲求が充足し身体化した姿と言えます。

「この甘さは何のための甘さなのか?」文化的な意味付けを見出すことができない「甘さ」に対する嫌悪感から、「甘いはまずい」にもなりうる。

「ありのままの酒」の姿を体験できる人はいない。それぞれの経験・程度・尺度で切り取りした酒の姿を見ているだけです。

日本酒を正しく評価するには、文化を知り、審美眼を養う必要があります。

ですので、先の発言の「旨ければいい」というのは自己満足の範囲でしか通用しない言葉であり、全然恐れる必要がありません。

ただ、文化の洗練は退廃と隣あわせです。嗜好との摺り合わせにより、再検証する作業を怠ってはいけませんので、どんなレベルの人の意見であっても、その意味を汲み取る努力は必要です。

以上、わがまま店主の日本酒の味覚文化論でした。

本日、火曜日ですが営業しています。雄町しております。

|

« 蒸米その可能性の中心 | トップページ | 悲しき「正酒屋 六根浄」 »

日本酒」カテゴリの記事

コメント

少々(ではないか・・・)、消化不良気味・・・(笑)

予備学習として伏木亨さんの本をまた読み返すとしましょう・・・

>ただ、文化の洗練は退廃と隣あわせです。嗜好との摺り合わせにより、再検証する作業を怠ってはいけませんので、どんなレベルの人の意見であっても、その意味を汲み取る努力は必要です。

謙虚であること、挑戦すること、いずれにしても不可欠なことですね。
この業界に欠けていると指摘されやすいことの一つかもしれません。
受け継がれてきてないものは、その人の性格がたまたまそうでもなければ、水は低きに流れるです。
一時の隆盛はあるにしても、そうして退廃していくのでしょうか・・・
流れに逆らってでもと思えるうちが幸せかもしれませんね・・・

投稿: おやじ | 2009年11月 4日 (水) 09時28分

おやじさん、いつもコメントありがとうございます。

>少々(ではないか・・・)、消化不良気味・・・(笑)

皆さんの声を代弁していただいているようで・・・。消化不良なのは、私の文才がないせいでしょう。

>予備学習として伏木亨さんの本をまた読み返すとしましょう・・・

さすがは、おやじさん。ネタバレしてますね。今回の記事は、「コクと旨味の秘密」(新潮選書 伏木亨著)からかなりインスバイアされています。食の世界に携わる人必見の書だと思います。

発生的現象学の手法を用いて、文化と嗜好狭間に起こりうる問題の説明を試みたのですが、ちょっと読みづらいですし、真意が届けられたかちょっと不安です。

とにかく、文化理解なしに物事を批判する風潮への警鐘をそれとなく鳴らした次第です。

造り手、売り手は、消費者に迎合するだけでなく、嗜好の先にあるもの、の提示を常にできるように準備しておく必要があると考えています。


投稿: わがまま店主 | 2009年11月 4日 (水) 10時05分

>消化不良なのは、私の文才がないせいでしょう。

これこそ、お酒の評価と同じではないでしょうか。
文才=迎合!?という傾向が強いように思う中、受け取る側のある程度の教養というか、勉強も必要である、ということで良いと思います。
そのほうが刺激があって(笑)

天才の域になると、分かりすぎて(!?)有り難味が逆に薄れるような・・・

ありゃ、やっぱり酒の評価と同じになるか・・・

ムズカシイデスネ。

投稿: おやじ | 2009年11月 4日 (水) 15時16分


毎度ご無沙汰してます。
いつもromしてる吟醸好きで「旨ければ良い」が
口癖の草屋敷です(笑)

 五味の調和は文化と言うよりも品質かな?と個人的には
思います。でなければ指針とでも言うものかな?
(個人的に坂口謹一郎博士の「さわりなく水の如くに飲める酒こそ最上である。
内に千万無量の複雑性を蔵しながら、さりげない姿こそ酒の無上の美徳である。
それはちょうど太陽の光線が、内に七色の華麗を蔵しながら、なんの色も
示さないのと同じである」が飲んでる人としては凄くしっくりきます。
飲まない人からすれば胡散臭いこと極まりない言い回しですが 笑)
 文化という呼称は意味としてあってるとは思うのですが
いかんせん胡散臭い人々も好んで使いそうな言い回しなので
個人的にはあまり好きませんが(苦笑)ただ、説明として
自分の言葉で話しているので好感は凄く持てます。

 というのも酒造業界の人の説明で、外部の受け売り文句を
使用する方が試飲会などでわりと見受けられますが、
その言葉の意味を良くわかってないで使ってるのではないかな?と
思う人がとても多く感じるからです。
 質と旨さ(というか趣向。言い換えれば売れ線でも可)
は成り立たない例など、いくらでもあるじゃないですか。
そこを自分の言葉で喋らず「官能が~」などと自分の言葉でなく
格好つけた言い回しをするから説明を受けても腑に落ちない
方が潜在的に多いのではないかと思います。
逆に日本酒普及の阻害ですら思えます(苦笑)

 ちなみに甘い方が云々は日本酒を飲まない方よりも
酒嗜まない方ではないかと思います。基本的に酒嗜む方は未だに
あの粗悪なべたつく甘さの酒という認識が自分の経験上、非常に
多いと思います。それで甘口傾向の酒を飲ませると
「これならいける」となる。

なんというかもっとシンプルでいいのではないかと思います。
だから「旨ければオッケー」となるわけなのですが(笑)

と未だに【日本酒の熟成】とよく使われる
【米の旨み】の説明が理解できぬ人の戯言でした。
(今の製法の日本酒ってそもそも熟成向きの酒なのか?というのと
【米の旨み】って口に含んだ時に感じられる膨らみのこと?
だとしてはそれは味わいであって旨みではないのではないかと
思うのですが、どうでしょう?)

投稿: 草屋敷 | 2009年11月 6日 (金) 15時14分

草屋敷さん、お久しぶりです。

アンチ吟醸ブログへようこそ(苦笑)。

何となく今回の記事を書いたときに草屋敷さんを思い出したのですが、やっぱり来ていただけましたね。

草屋敷さんへのコメントの返答は、ブログ記事3回分くらいの労力が要りますので月曜日の今日まで返答を控えておりました(笑)。

まず、「五味の調和」ですが、ご指摘のあった坂口謹一郎先生の「日本の酒」での言葉が念頭にあって書いております。

「日本の酒」の根底には、日本酒を文化として見つめなおそう、という坂口先生の意図が感じられます。

大量消費の中で、忘れられようとしてた「ほんとうの日本の酒の良さ」を提示したのが「日本の酒」(現在は岩波文庫)だったと思います。

ですので、品質、指針も前提として、文化の存在があると思うんですね。

舌に感じる味、目に見える全てが、現れた時点において意味があり、意味があるからこそ現れるわけです。

食べ物を「甘い」、「辛い」と感じるのは、本能ではなく、知が身体化された身体的意味づけで、知とは文化の中で構成されている共有可能な伝達の体系だと思います。

草屋敷さんの文章からは、「文化」もしくは「ほんもの」という言葉に対する警戒心・不信感が強いな~と感じます。

権威主義的なものへの嫌悪感、文化を文化という名のもとによく考えることもせず、上から物を言ってくる者の存在が思い浮かぶのでしょうが、それでもやはり、私は良し悪しを判断する基準をしっかり明示していく必要があると思っております。

私達の心の中には、より良い(より旨い)ものへの希求があります。

しかも、人によってその段階には差があるわけです。

それぞれの段階において、個々の味覚の身体的受容の満足が「うまい」ということですが、文化としての基準がなければ、それぞれの絶対があるだけで、共有可能な知でなくなります。

おっと、どんどんシンプルでなくなっていますね(苦笑)。

要は、現在、私達が食するものは、生命維持に必要なだけのエサを食べているのではなく、意味を満足させる知を含んだ「文化としての食」を食べているんだということです。

味わうことは、実は、知的な作業なのです。

消費者は「おいしければそれでいい」と言えますが、提供する側は、より多くの人に共有できる物語をどういう形にするか、を常に考え続けなければなりません。

まあ、私が文化、文化というのも自分の仕事に誇りを持ちたいがための自己弁護なのかもしれないですけどね。

【日本酒の熟成】、【米の旨み熟成】については今後もブログの記事で追々説明していきたいと思います。

今日の「正酒屋 六根浄」の主な午前中の仕事でした・・・。

草屋敷さん、お手柔らかにお願いします。

投稿: わがまま店主 | 2009年11月 9日 (月) 12時44分

店主さんお久しぶりです。

学が無いので皆さんと違って文章にまとまりがないですが、自分もちょっと感じたことをズラズラと…

自分も「何だかんだ言っても要は旨ければいいんだよ。」派です。
ただ自分としては、そのお酒に対して味や香りなどをどう感じて良いと思ったのかが、表現&自己分析できるようになりたいと思っております。(悪いと感じた場合も同じですが)
まあ、旨いについても実際は難しいですよね。人それぞれ旨いの感じ方は違うし、「酒質はいいけど好みに合わないお酒」や「酒質はどうってことないけどなぜか好みに合うお酒」っていう経験も常にあるので、「いい酒」と「旨い酒」って実は違うこともあるのかなと思う時もあります。

また、日本酒の味わいについては油絵のように色々な色を重ね合わせたようなお酒もあれば、水墨画や書のようなお酒もありますので、(実は絵は良く分からないので感覚で書いていますが)どういうタイプが好きで、どのように解釈するのかは個人の好みだと思いますが、それぞれ理解するためには経験の積み重ねと自己分析がある程度必要なのかと思いますし、そういう積み重ねが必要だという面からも店主さんが「文化」という言葉を使っているのかなと勝手に解釈しております。

多分店主さんが求める旨いは水墨画や書における余白の部分の美を感じるかどうかというようなことだと思いますが、個人の素質や経験によってかなり差が出ると思いますので、日本酒初心者でも分る人は直ぐに分るし、分らない人は何十年間飲んでも分からないという、結構難しい要求だと思います。

ちょっと話は変わりますが、自分自身は味や香りが濃い物も淡い物もどちらも好きですが、高香気性酵母で造ったお酒については味と香りは確かに濃いけど、その味と香りの「質」があまり良いとは思えないのが少なからずあるのが残念だなと思っています。

まあ、日本酒もそのほかのアルコール飲料も誰もが気軽に楽しめるけど、実は奥が深い芸術品だなと常々感じています。

投稿: 酒ばか1号 | 2009年11月23日 (月) 12時02分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/516076/46629354

この記事へのトラックバック一覧です: まずいはうまい、うまいはまずい~文化と嗜好との狭間で~:

« 蒸米その可能性の中心 | トップページ | 悲しき「正酒屋 六根浄」 »