酒造技術者

2009年9月28日 (月)

カリスマ指導者

どの業界でもカリスマと呼ばれる人がいます。

現在の酒造業界では、山形県工業技術センターの小関敏彦先生がカリスマと言えるかもしれません。

かつての酒造業界では、熊本の野白金一氏、秋田の花岡正庸氏らが吟醸の神様と呼ばれ、カリスマ的な存在であったようです。灘地区限定では、中村政五郎氏が生神様のような扱いをうけたとの記述があります。

それぞれ鑑定官出身で、指導した場所と出身地が異なり、影響力が地域限定であったのが面白いところです。

おそらく各先生の指導のスタイルと風土や流儀がうまくマッチしていたんだろうと思います。

逆に、戦前から戦後にかけて全国に酒造指導者として全国にシンパがいたカリスマがおりました。

その名は「杉山晋朔」。

以前、「戦後の酒造界における最大の謎」の題で、表舞台から姿を消した杉山晋朔氏を取り上げたことがありました。

あの後、杉山流を継承する蔵元さんから連絡があったりと、色々なことがわかって参りました。

秋田コンノの社長に杉山晋朔氏のことを聞いたら、「う~ん。」と困った表情をしていたのを思い出します。何があったのだろうとずっと疑問に思っていました。

調べていたら、出てきました。

元・鑑定官の高橋康次郎氏の東京農大教授の新任挨拶の文章の中、「4.キラー酵母はいずこへ」の「長野県のカリスマ的なS先生」として(ちなみに杉山氏は静岡県出身。花岡正庸氏は長野県出身)。

読んでいただくと酒造技術者の方はわかると思いますが、杉山氏の指導はなんだこれは?の世界です。

まず、仕込水の加工薬品の使用量が半端ではありません。これでも「酒造の栞」に記述のある指導より少なめの数値です。

酒母の使用時のアルコールが18%。調べてみると培養酵母の添加時期も暖気を入れてボーメが出てから添加するやり方だったそうです。

「二時間蒸し」は素敵です。昭和50年代に行っているとは・・・。

しかし、キラー酵母に汚染されていたのでは元も子もありません。

どんな指導であっても目的を達せられなければ全てが水の泡です。

とにかく、酒は清潔な環境が第一であることもこの事例では教えてくれています。

戦前には第一線で表街道を歩んでいた杉山氏が、戦後はアンチ鑑定官室の指導をするようになった理由が知りたいですね。

杉山晋朔氏が理想とする酒はどんな酒だったのでしょうか?

Photo

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2009年9月15日 (火)

酒母は日本酒のダシである

日本酒の製造において酒母育成というのは酒の個性を決定する大きな意味を持ちます。

酒母は「優良酵母の純粋培養」という重要な工程でありますが、私はもうひとつ大きな役割を持つと考えます。

それは、酒母育成は日本酒のダシ取りの工程でもあるということです。

その視点から見ると、灘流「生もと」という手法に大変魅力を感じます。濃醇にしてまろやか、まさに醍醐味という表現にふさわしい酒となるのが「生もと」だと思います。

逆に、酒母のダシ取りという重要性を理解しないと、プンプン系酵母の安易な使用により、副産物であるカプロン酸によるエグ味で酒の旨味を台無しにしていることを気づかない・・・。

平成5年から平成18年までのたった10数年で日本酒の課税数量が半分に減ったのです。

何が原因なのか?

私の説は、級別廃止とともに日本酒のギフト商材としての価値が低下し、プンプン系の台頭が日本酒離れに拍車をかけた、というものです。

級別制度の下、アルコール添加と活性炭とオリ下げにより酒質矯正された酒が日本酒として売られていました。戦後の昭和時代は、日本酒の「旨味」の喪失の時代であったと言えます。

しかし、そんな技術下で優位性を保てたのが灘流の「生もと」だったのではないでしょうか。活性炭とオリ下げでも「コク」の残滓が残り、日本酒らしさを保つ事ができた。

しかし、級別廃止により、事情が変わります。

活性炭を使用しないオリ下げなしの「旨味」のある酒が多く出現してきました。たとえば「田酒」は、級別廃止後に勃興した新勢力の代表格と言えます。

もう一つは、ダシ的要素を排除したつまみのいらない濃醇甘口酒の流行。私が批判するプンプン系がここに該当します。

これらの非凡な酒が大手の平凡さを浮き上がらせる結果となった・・・。

ギフトで特級酒に代わると思われた大吟醸は、保存の難しさから蔵元の望む味とは程遠い酒質に変わり果ててから消費者の口へ・・・、これが日本酒の最高峰の味なのか?

日本酒はこのままマイナーでマニアックな酒へと向ってしまうのでしょうか?

意外かも知れませんが、私は実力のある大手蔵の復権が鍵を握っていると思っています。

どこでも手に入る2リットルパックの日本酒が焼酎と同じくらいに安心して飲めるようにすること。

「生もと」の手法が現在、果たして市販酒の味に最大限に生かされているのか?

昔のままでいいのか?どこまで遡ればいいのか?

山形県鶴岡出身の中村政五郎氏が守り抜こうとした技法と味、灘流「生もと」。

酒造技術史を紐解くことでヒントが出てくる気がします。

大手のお蔵さん頑張ってください。

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2009年9月10日 (木)

現代南部杜氏の源流

今あるかどうか知りませんが、南部杜氏には二大派閥が存在したというのを聞いたことがありました。

平野派と照井派。

平野派は名杜氏と言われた浦霞の「平野佐五郎」門下生の集まり。

照井派は、これもまた名杜氏と言われた勝山の杜氏を勤めた「照井円五郎」門下生の集まり。

現在の南部杜氏の隆盛はこの二大流派によるところが大きかったと思われます。

先日、私は浦霞と勝山の歴史上の共通点を見つけました。

一人の丹波杜氏の存在です。

「小林重吉」

昭和30年に酒造技術者として初の黄綬褒章を受賞した人物。

この小林重吉杜氏が明治の末期に両蔵の指導にあたり酒質改善に貢献したとの記述を「丹波杜氏」(丹波杜氏組合 昭和32年刊)の中に見出しました。

小林重吉杜氏は当時としては珍しく、実地経験だけでない、灘酒の酒造りの学理究明を学んでいました。

当時、最先端であった灘流の酒造りの学理究明を小林重吉杜氏に教えたのが、当ブログでたびたび紹介している「中村政五郎」でした。

南部杜氏の源流に丹波杜氏の存在がある、と最初に酒造りを教わった杜氏から聞いたことをふと思い出しました。

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2009年8月13日 (木)

和釜魔店主の逆襲

わがまま店主。

ひらがなではちょっと頑固な酒にこだわった店主程度の印象しか与えていないことでしょう。

しかし、その本性は・・・和釜魔!

現代酒造技術を盲信してきた皆さんにとっては、ひぇ~ですよ。

忘れてきた酒造技術の中に眠っていた真実。

酒造の根本は「蒸米」であるということ。

限定吸水による管理だけでない旨味のある蒸米の仕上げ。

その源流にあるのが、山形県鶴岡市出身の鑑定官「中村政五郎」であり、宮城県出身の鑑定官「鹿又親」の教えでした。

前者の教えは灘の酒造りへ多大な影響を与え、後者の教えからは「有松嘉一」を経て「上原浩」へと受け継がれました。

大東亜戦争の戦局の悪化に伴う混乱のもと、これらの酒造技術は経験として受け継がれた蔵もありましたが、表立った理論としては、ほぼ忘れられました。

蒸きょう設備としての「和釜」は、優れた蒸米となる構造であり、旨味を最大限に引き出すことが出来る設備だということが私の経験からも実感することができました。

福島の「大七」さんでは新社屋を建てる際、「和釜」にこだわり、竈(かまど)と巨大な煙突を新たに作り直しました。

福島の「大七」さんは、名杜氏といわれた伊藤勝次杜氏が、灘の辰馬本家酒造(白鹿)に通いつめ、生酛の技法を習得し、その時に「生酛づくりの最後の総帥」と言われた辰馬本家の「井上貞三」技師長に「蒸米」の重要性を叩き込まれたようです。

井上貞三氏は中村政五郎氏の薫陶を受けた一人。

さらに後年、上原浩氏が伊藤勝次杜氏と出会うことになる。

「中村政五郎」と「鹿又親」の教えの融合。

「和釜」を手放すわけがありません。一時、ボイラーによる縦型連続蒸米機を導入したらしいですが、すぐにやめたと聞きます。

なぜ、「完全なる蒸米(旨味のある蒸米)」の重要性(限定吸水だけでない)が忘れられたのか?

これは一つの仮説なのですが、造り手に苦味の感受性がある人とない人がいて、苦味の感受性のない人にとって見ると、この蒸米の旨味というものが理解できていなかったのではないかと。

蒸米の蒸し方が甘いと蒸米に苦味が残ったままです。そうすると、酒に苦味が移るのです。

皆さん、ほとんどの日本酒は苦くありませんか?

苦味の感受性がない造り手は、苦味を感じなくても、飲みづらさを感じるようですので、グルコースの甘味でカバーするようになります。さらに、カプロン酸の苦味・エグミを感じないようで、高香気性酵母(プンプン系のもと)を安易に使用する・・・。

しっかりと、味の評価が出来る人を選抜しプロの技術者として養成していくこと。

このことが「日本酒復権への第一歩」だと思います。

最後に一言、

「とはいえ、日本酒は純米酒に戻らなければならないと考える」

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2009年5月23日 (土)

金賞受賞おめでとうございます!

昨日、平成20酒造年度の全国新酒鑑評会入賞酒が発表されました。

今年も山形を始めとした東北勢の活躍が目立ちました。

私がかつて在籍した蔵も金賞を獲っており、心よりお祝い申し上げたいと思います。

6年連続金賞はなかなかできる芸当ではないですしね。

昨日、店に訪れてくれた一級酒造技能士の資格を持った杜氏さんの蔵も金賞を獲り、初めて杜氏になった年に金賞を獲ることができたことに尊敬の念を抱かずにいられませんでした。

金賞を受賞した大吟醸のサンプルを持ってきてもらいましたが、素晴らしい出来でした。

なんと、当店に金賞受賞した大吟醸のアル添前の斗瓶取りの酒(純米大吟醸)を分けてくれることになりましたので、お店に直接来た方にお知らせいたします。

ところで、私が見て聞いて感じた金賞を獲れる獲れない蔵の差。

杜氏がすべての工程において人まかせにしないこと。

これに尽きると思います。

すべてに手をかけることで失敗した原因がわかるのです。

入賞もできなかった蔵はダサいんです、悔しいけどダサくて格好悪いんです。

まったくアタラクシアが乱されまくりです。

全国新酒鑑評会に出品せずに批判ばかりしているお蔵さんは、この悔しさから逃れたかったんでしょうね。

逃げたらおしまいです。臭いものに蓋をするように鑑評会から逃げると、臭い酒を平気で出すようになるものです。

おっと、腹立ちまぎれに本音が出てしまいました。

とにかく、金賞を受賞した蔵の皆さん、一冬の苦労が報われましたね。おめでとうございます。

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2008年11月 6日 (木)

ブログを書く時間がもったいない

Photo_6と思うくらいに外の景色がきれいで、朝からお店の前の椅子に座ってボーっとしていました。

ということで、今日は手短に。

ある蔵元さんから、今年の米が硬いという情報が入りましたので、硬質米の浸漬・蒸きょう方法を調べました。

硬質米といえば東北地方の米。

東北で発行された戦前の文献を見ました。

Photo まずはこれ。「東北地方酒造参考書」大正5年2月発行。

大正3、4、(5)年は全国的に大腐造が起こった年として知られ、その真っ只中に発行された本です。

精米歩合が高く、参考になりませんでした。ただ、この本は当時の東北地方の仕込唄、酒造用語、数え言葉が詳しく書いてあるので、酒造技術書の中でも貴重な本だと言えます。

Photo_2 9年ほど経過して出された「酒造注意書」大正13年11月発行。

本の書き込みに「郡山の山口酒造店(現・笹の川酒造)にて花岡正庸先生から頂戴した」との記述があります。

実地指導の際に配ったもののようです。

この本には「吟醸」の記述が見られます。

浸漬時間はごく当たり前の記述で、軟質米は短時間、硬質米は長時間に、ということが書いてあります。浸漬時間は仕事の都合上一定であるところが多いようで、酒造技術がまだ確立されていない時代だったようです。

良好なる蒸米を造る方法として、「秋田式甑」を推奨しております。図がないのが不親切です。

また、蒸米を適度の軟らかさに蒸す法として、撒水法(シト打法)を挙げ、米を蒸す時に水を撒くという方法が書いてあります。ただ、この方法に関して、中村政五郎氏は後年の「蒸米からみた酒造」において強烈な反駁を加えております。

Photo_3 「秋田式甑」は、花岡正庸氏著「酒造提要」(大正13年1月発行)に図が書いてあります。

現在の甑穴一つというのではなく、甑の大きさに比して3~6個甑穴が開いているものです。「楯の川酒造」さんで持っているのを聞いたことがあります。

この本においても、「良麹を得る最大要点は先づ良蒸米を作るにあり」としています。

花岡正庸氏は、良好な麹を指して「膨軟寡湿麹」と命名し推奨しています。これは私が以前に言った「ボムボム麹」と同じだと思います。

ただ、この当時の花岡正庸氏は、強く蒸すと米が硬くなると信じていたようで、秋田式甑や撒水法(シト打法)を推奨しております。

これらの方法では「外硬内軟」の蒸米を得ることができなかったのでは?と推測します。

Photo_4 その証拠として、昭和9年に発行された日本醸造協会東北支部「清酒吟醸要訣」には、秋田式甑の記述がありません。

この昭和の初期の醸造技術の進歩には驚かされます。

しかし、この本を菊姫ライブラリーの第一弾にした人はセンスがいいですね。

と、ここらへんでお酒の宣伝もたまにはしましょう。

Photo_5 龍勢 寿司酒(すしざけ) 備前雄町 精米歩合60%

1.8L 3,150円(税込)

720ml 1,575円(税込)

豊かな米の旨味を感じるフルボディの酒です。

お寿司に合う酒とありますが、米沢牛のステーキにも負けないようなしっかりとした骨格の酒です。

米をきちんと蒸すとこういう味になるという典型だと思います。

完熟蒸米の酒「龍勢」。

ご注文はこちらからどうぞ。

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2008年10月30日 (木)

マニアック企画!次回の菊姫ライブラリーを予測する

菊姫ライブラリー。

次々と歴史的酒造技術書を復刻しています。

しかし、古本収集家にとっては敵!

復刻をすると価格が下がってしまうんです・・・。別に転売目的じゃないんですけども、値段が下がるのを見るのは面白くないですね。

でも、これらの名著を読むことで、現在の酒造技術の見直しができるようになった意義は大きいです。

本日は、菊姫さんだけいいかっこしているのを黙って見ているのも癪なので、次回の菊姫ライブラリーを予測します!

Photo 候補第一位は・・・、「最新 清酒醸造法(増補再版)」(大阪税務監督局編)(昭和10年)!!

この本の前身は「酒造乃心得」(日本醸造協会近畿支部編)で、平成元年に上原浩氏らによって復刻されたことで知られます。

Photo_2 「酒造乃心得」って、どこかで見たことがあるような?と思った方は、記憶力が良い方です。尾瀬あきらさんが書いた「奈津の蔵」で、奈津が酒造りを覚えるために読んでいた本です。

「最新 清酒醸造法」は、初版が昭和9年。

昭和9年と言えば、竪形精米機、琺瑯タンクが既に現われていましたので、高度精白の吟醸の形が見られます。

大阪税務監督局内と言えば、当時の酒造りの本場、灘地区がある所。酒母の「生酛(きもと)」の項目は充実しており、こだわりを感じます。

酒造りの従業員向けに配布された本なので、行間も広く読み易いのが特徴です。

「生酛」回帰志向が進んでいる現在にうってつけの酒造技術書です。

ちなみに、「最新 清酒醸造法」の発行代表者名は、金井春吉氏であり、この人物は、生酛系酒母の早湧き防止と亜硝酸生成との関係の研究で知られ、亜硝酸1ppmをブレーキ1度と呼ぶことを提唱した人物として知られています。

候補第二位は・・・、明日のお楽しみということで。

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2008年10月28日 (火)

「酒造総典」を読む

今月、菊姫ライブラリーから芝田喜三代著「酒造総典」が出版されたそうです。

今まで菊姫ライブラリーから出版された本の著者は、江田鎌治郎、小穴富司雄らのビッグネームでした。

今回は芝田喜三代氏。

正直、上記の2名に比べ、小物感があります。

ただ、「酒造総典」は読み易く、酒造技術史を知る上でためになる面白い本です。

芝田氏は、蒸米の重要性を説いた東京税務監督局鑑定官の後身、東京国税局鑑定官室所属だけあって、「蒸きょう(蒸し)」の項目は充実しております。

「一、酒造において浸漬米を強い蒸気で蒸して、弾力があって且つ『しっかり』した完全蒸し米を造ることを『蒸きょう』と云う。

二、健全な酒は完全な蒸米から、と云われている通り、良い蒸米を得ることが酒造の第一歩であって、酒造の大勢を決定する。

三、蒸米は外が硬く、内部が軟らかく蒸せていることが第一の条件である。」(p.84,85)

これを読んだだけで信頼に値する本だと思ってしまいます。

蒸し時間は硬質米や濃厚な酒を望む場合、80分以上蒸すことを勧めており、増醸酒(三増酒)の原もろみの蒸米の蒸し時間も80分間くらいが望ましいとしています。

但し、吟醸の蒸し時間は40分程度が良いとしています。

昔から、吟醸は、蒸し時間が短いほうが良いとする意見は多いのです。

これはなぜなのか?

私の考えでは、良く蒸すと味が濃い味となり、きれいな味が尊重されたかつての吟醸に合わなかった、ということだと思います。

現在のグルコース濃度が高い吟醸には、蒸し時間が長いほうが向いているような気もするのですが。

蒸米の話は、まずはここまでにしましょう。

面白いのは、芝田氏の吟醸酒についての考えです。

吟醸酒は、市販酒として販売すべきではなく、むしろ市販酒に吟醸香はいらない、とする立場を取っております。吟醸香は珍しいから「さわがれる」のである、と。

誰しも酒の覚え初めに、吟醸香のある酒に驚き、これが良いものだ、と刷り込まれ、有難がりますが、数をこなすうちにむしろ吟醸香などないほうが飲み飽きせず飲めるようになるものです。

そもそも「吟醸香=良い酒」という図式は、伝統にのっとった味覚でもなく、本能的なものではなく、わかりやすい初歩的な味覚(甘味とか果実香)に珍しいから「さわいでいた」だけではなかったのではないでしょうか?

同じ目標に向かって吟醸を造ることは造り手にとって技術研鑽として意義はあっても、出来た酒は飲み手にとって最高の酒質である保証はないのです。

むしろ、造り手は現在の出品酒は飲める代物ではない、という認識でありながら、金賞を獲りに行くためしぶしぶ、高い香りの出る酵母を使用して大吟醸を造っているのです。

ただ、酵母の選択を誤らなければ、高精白の良さに伴って、飲み易さ、品の良さ、が向上することは間違いないので、酵母の選択というのは重要であると考えます。

戦前から、吟醸批判、鑑評会批判というのはあって、批判の対象は違えど本質は変わっていないんですよね。

ここに歴史から学ぶことの必要性があります。

菊姫ライブラリーは酒造技術書の歴史的名著を次々出してますので、酒造技術者ならばぜひ読んでいただきたいシリーズです。

菊姫ライブラリーは高いって?

いや、私が古本屋から買った労力と本代に比べれば全然安いものです。

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2008年8月31日 (日)

蒸米重視派による戦前最後の酒造技術書

昭和初期に発生した「蒸米」を重視した酒造りの二大潮流。

一つは、鹿又親鑑定部長が率いた東京税務監督局鑑定部

ここからは、上原浩氏の師であった有松嘉一氏や平岡満一氏、杉山晋朔氏らを輩出しました。

もう一つは、中村政五郎

中村政五郎氏は丹波杜氏への影響力が強く、昭和5年に「蒸米から見た酒造」が出版された後には、灘の蔵元では、こぞって釜を大きくするといったように灘の酒造りへも影響を与えました。

そんな中、別の流れで、蒸米バカ技術者ともいうべき人物が登場します。

その名も「小出治彦」。

戦後に、岡山県で酒造りの指導に当たった小出巌氏の父。

戦前に最も評価の高かった酒米、赤磐雄町を産出した岡山県の工業試験所の先生です。

小出氏が昭和15年に今野商店出版部から発行した「経済酒造法」は、蒸米重視派による戦前最後の酒造技術書です。

Photo_2 この表紙がまた素晴らしい!

仕込桶の向こうに大海原。海に浮かぶ船は軍艦?あるいは輸送船?想像をかきたてられます。

第二章の「蒸きょう」に60ページ!を費やすという熱のいれよう、素敵です。

小出氏の主張するところは、蔵癖と言っているものの正体は蒸きょう方法の欠点にあり、ということです。

釜の容量、コマの規格、蒸気圧、蒸気温度、蒸きょう方法についての記述は、他の酒造技術書を凌ぐ細かい指示があり、確信に満ちています。

しかし、この本の記述には、現在の酒造には見られない謎があるのです。

同じく蒸米にこだわった杉山晋朔氏も首をかしげた謎については、後日ということで・・・。

とにかく、この本には、金言の数々がちりばめられているんですよね。

その一例として、

「製麹法のみに重点を置くより、蒸米の仕上げに重点を置き、理想の蒸米を造ったならば製麹は予想外に楽であって又糖化の持続性を発揮するものである。」

「毎日病気の治療に専念するより健康で明朗の日を送ることを研究した方が一番幸福でないかと思う。麹の病気直しよりも其前から病気の起こらぬ蒸米を造ることを研究しなさい、病気なんか考えずに健康増進を考えて置きなさい。」

「病気の起こらぬ蒸米」つまり「完熟蒸米」とは何であるかについても詳しく書いてあります。

この本が出版されたのが、昭和15年。

アルコール添加が始まる3年前のことでした。

本の名前が「経済酒造法」という名前なので、顧みられることがない酒造技術書ですが、酒造技術書の中でも著者の熱い思いが伝わってくる読み応えのある名著だと思います。

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2008年7月24日 (木)

蒸きょう第一主義

昨日からの続きとなります。

「蒸米から見た酒造」は、決して「テム・レイの回路」なんかではありませんでした。

中村政五郎氏の「蒸米から見た酒造」を読み、激しく同意した人物がいました。

東京税務監督局鑑定部長の鹿又親(かのまたちかし)氏です。

ほぼ同時期に東京税務監督局管内において「蒸きょう第一主義」を標榜し、「蒸米の完全」を指導していたのです。

「蒸米から見た酒造」を読んだ鹿又氏は、「吾人は百萬の見方を得た心持がした」と言っています。

西の中村政五郎、東の鹿又親。

「櫂でつぶすな麹でとかせ」

鹿又氏は、この有名な言葉の発案者です。

酒造の根幹が「蒸米」にあるとする考えの二大源流。

「一に蒸し、二に蒸し、・・・」で知られる故・上原浩氏の師匠は、鹿又親氏の門下生の有松嘉一氏ですので、鹿又親氏の孫弟子ということになります。

余談ですが、戦前の造りに関して上原氏に質問したところ、「あんたは良く勉強しておる!」と言ってうまく逃げられたことを思い出します。戦前の造りをあまりご存じないようでした・・・。

東京税務監督局内では、「酒造工人必携」、「酒造工場管理法」などの実践的酒造技術書を毎年のように改訂・増補を繰り返しており、酒造技術が日進月歩で向上していた様子が見られます。

しかし、昭和14年に山形で行われた酒造大会直前に鹿又氏が急逝し、戦況の悪化により、精白制限、企業整備、アル添などが行われ、「質より量」の時代が到来し、造れば売れる時代が到来したことで、この「蒸米」を根幹とした酒造りは忘れ去られることになります。

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