酒の本

2008年11月 6日 (木)

ブログを書く時間がもったいない

Photo_6と思うくらいに外の景色がきれいで、朝からお店の前の椅子に座ってボーっとしていました。

ということで、今日は手短に。

ある蔵元さんから、今年の米が硬いという情報が入りましたので、硬質米の浸漬・蒸きょう方法を調べました。

硬質米といえば東北地方の米。

東北で発行された戦前の文献を見ました。

Photo まずはこれ。「東北地方酒造参考書」大正5年2月発行。

大正3、4、(5)年は全国的に大腐造が起こった年として知られ、その真っ只中に発行された本です。

精米歩合が高く、参考になりませんでした。ただ、この本は当時の東北地方の仕込唄、酒造用語、数え言葉が詳しく書いてあるので、酒造技術書の中でも貴重な本だと言えます。

Photo_2 9年ほど経過して出された「酒造注意書」大正13年11月発行。

本の書き込みに「郡山の山口酒造店(現・笹の川酒造)にて花岡正庸先生から頂戴した」との記述があります。

実地指導の際に配ったもののようです。

この本には「吟醸」の記述が見られます。

浸漬時間はごく当たり前の記述で、軟質米は短時間、硬質米は長時間に、ということが書いてあります。浸漬時間は仕事の都合上一定であるところが多いようで、酒造技術がまだ確立されていない時代だったようです。

良好なる蒸米を造る方法として、「秋田式甑」を推奨しております。図がないのが不親切です。

また、蒸米を適度の軟らかさに蒸す法として、撒水法(シト打法)を挙げ、米を蒸す時に水を撒くという方法が書いてあります。ただ、この方法に関して、中村政五郎氏は後年の「蒸米からみた酒造」において強烈な反駁を加えております。

Photo_3 「秋田式甑」は、花岡正庸氏著「酒造提要」(大正13年1月発行)に図が書いてあります。

現在の甑穴一つというのではなく、甑の大きさに比して3~6個甑穴が開いているものです。「楯の川酒造」さんで持っているのを聞いたことがあります。

この本においても、「良麹を得る最大要点は先づ良蒸米を作るにあり」としています。

花岡正庸氏は、良好な麹を指して「膨軟寡湿麹」と命名し推奨しています。これは私が以前に言った「ボムボム麹」と同じだと思います。

ただ、この当時の花岡正庸氏は、強く蒸すと米が硬くなると信じていたようで、秋田式甑や撒水法(シト打法)を推奨しております。

これらの方法では「外硬内軟」の蒸米を得ることができなかったのでは?と推測します。

Photo_4 その証拠として、昭和9年に発行された日本醸造協会東北支部「清酒吟醸要訣」には、秋田式甑の記述がありません。

この昭和の初期の醸造技術の進歩には驚かされます。

しかし、この本を菊姫ライブラリーの第一弾にした人はセンスがいいですね。

と、ここらへんでお酒の宣伝もたまにはしましょう。

Photo_5 龍勢 寿司酒(すしざけ) 備前雄町 精米歩合60%

1.8L 3,150円(税込)

720ml 1,575円(税込)

豊かな米の旨味を感じるフルボディの酒です。

お寿司に合う酒とありますが、米沢牛のステーキにも負けないようなしっかりとした骨格の酒です。

米をきちんと蒸すとこういう味になるという典型だと思います。

完熟蒸米の酒「龍勢」。

ご注文はこちらからどうぞ。

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2008年10月30日 (木)

マニアック企画!次回の菊姫ライブラリーを予測する

菊姫ライブラリー。

次々と歴史的酒造技術書を復刻しています。

しかし、古本収集家にとっては敵!

復刻をすると価格が下がってしまうんです・・・。別に転売目的じゃないんですけども、値段が下がるのを見るのは面白くないですね。

でも、これらの名著を読むことで、現在の酒造技術の見直しができるようになった意義は大きいです。

本日は、菊姫さんだけいいかっこしているのを黙って見ているのも癪なので、次回の菊姫ライブラリーを予測します!

Photo 候補第一位は・・・、「最新 清酒醸造法(増補再版)」(大阪税務監督局編)(昭和10年)!!

この本の前身は「酒造乃心得」(日本醸造協会近畿支部編)で、平成元年に上原浩氏らによって復刻されたことで知られます。

Photo_2 「酒造乃心得」って、どこかで見たことがあるような?と思った方は、記憶力が良い方です。尾瀬あきらさんが書いた「奈津の蔵」で、奈津が酒造りを覚えるために読んでいた本です。

「最新 清酒醸造法」は、初版が昭和9年。

昭和9年と言えば、竪形精米機、琺瑯タンクが既に現われていましたので、高度精白の吟醸の形が見られます。

大阪税務監督局内と言えば、当時の酒造りの本場、灘地区がある所。酒母の「生酛(きもと)」の項目は充実しており、こだわりを感じます。

酒造りの従業員向けに配布された本なので、行間も広く読み易いのが特徴です。

「生酛」回帰志向が進んでいる現在にうってつけの酒造技術書です。

ちなみに、「最新 清酒醸造法」の発行代表者名は、金井春吉氏であり、この人物は、生酛系酒母の早湧き防止と亜硝酸生成との関係の研究で知られ、亜硝酸1ppmをブレーキ1度と呼ぶことを提唱した人物として知られています。

候補第二位は・・・、明日のお楽しみということで。

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2008年10月28日 (火)

「酒造総典」を読む

今月、菊姫ライブラリーから芝田喜三代著「酒造総典」が出版されたそうです。

今まで菊姫ライブラリーから出版された本の著者は、江田鎌治郎、小穴富司雄らのビッグネームでした。

今回は芝田喜三代氏。

正直、上記の2名に比べ、小物感があります。

ただ、「酒造総典」は読み易く、酒造技術史を知る上でためになる面白い本です。

芝田氏は、蒸米の重要性を説いた東京税務監督局鑑定官の後身、東京国税局鑑定官室所属だけあって、「蒸きょう(蒸し)」の項目は充実しております。

「一、酒造において浸漬米を強い蒸気で蒸して、弾力があって且つ『しっかり』した完全蒸し米を造ることを『蒸きょう』と云う。

二、健全な酒は完全な蒸米から、と云われている通り、良い蒸米を得ることが酒造の第一歩であって、酒造の大勢を決定する。

三、蒸米は外が硬く、内部が軟らかく蒸せていることが第一の条件である。」(p.84,85)

これを読んだだけで信頼に値する本だと思ってしまいます。

蒸し時間は硬質米や濃厚な酒を望む場合、80分以上蒸すことを勧めており、増醸酒(三増酒)の原もろみの蒸米の蒸し時間も80分間くらいが望ましいとしています。

但し、吟醸の蒸し時間は40分程度が良いとしています。

昔から、吟醸は、蒸し時間が短いほうが良いとする意見は多いのです。

これはなぜなのか?

私の考えでは、良く蒸すと味が濃い味となり、きれいな味が尊重されたかつての吟醸に合わなかった、ということだと思います。

現在のグルコース濃度が高い吟醸には、蒸し時間が長いほうが向いているような気もするのですが。

蒸米の話は、まずはここまでにしましょう。

面白いのは、芝田氏の吟醸酒についての考えです。

吟醸酒は、市販酒として販売すべきではなく、むしろ市販酒に吟醸香はいらない、とする立場を取っております。吟醸香は珍しいから「さわがれる」のである、と。

誰しも酒の覚え初めに、吟醸香のある酒に驚き、これが良いものだ、と刷り込まれ、有難がりますが、数をこなすうちにむしろ吟醸香などないほうが飲み飽きせず飲めるようになるものです。

そもそも「吟醸香=良い酒」という図式は、伝統にのっとった味覚でもなく、本能的なものではなく、わかりやすい初歩的な味覚(甘味とか果実香)に珍しいから「さわいでいた」だけではなかったのではないでしょうか?

同じ目標に向かって吟醸を造ることは造り手にとって技術研鑽として意義はあっても、出来た酒は飲み手にとって最高の酒質である保証はないのです。

むしろ、造り手は現在の出品酒は飲める代物ではない、という認識でありながら、金賞を獲りに行くためしぶしぶ、高い香りの出る酵母を使用して大吟醸を造っているのです。

ただ、酵母の選択を誤らなければ、高精白の良さに伴って、飲み易さ、品の良さ、が向上することは間違いないので、酵母の選択というのは重要であると考えます。

戦前から、吟醸批判、鑑評会批判というのはあって、批判の対象は違えど本質は変わっていないんですよね。

ここに歴史から学ぶことの必要性があります。

菊姫ライブラリーは酒造技術書の歴史的名著を次々出してますので、酒造技術者ならばぜひ読んでいただきたいシリーズです。

菊姫ライブラリーは高いって?

いや、私が古本屋から買った労力と本代に比べれば全然安いものです。

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2008年8月31日 (日)

蒸米重視派による戦前最後の酒造技術書

昭和初期に発生した「蒸米」を重視した酒造りの二大潮流。

一つは、鹿又親鑑定部長が率いた東京税務監督局鑑定部

ここからは、上原浩氏の師であった有松嘉一氏や平岡満一氏、杉山晋朔氏らを輩出しました。

もう一つは、中村政五郎

中村政五郎氏は丹波杜氏への影響力が強く、昭和5年に「蒸米から見た酒造」が出版された後には、灘の蔵元では、こぞって釜を大きくするといったように灘の酒造りへも影響を与えました。

そんな中、別の流れで、蒸米バカ技術者ともいうべき人物が登場します。

その名も「小出治彦」。

戦後に、岡山県で酒造りの指導に当たった小出巌氏の父。

戦前に最も評価の高かった酒米、赤磐雄町を産出した岡山県の工業試験所の先生です。

小出氏が昭和15年に今野商店出版部から発行した「経済酒造法」は、蒸米重視派による戦前最後の酒造技術書です。

Photo_2 この表紙がまた素晴らしい!

仕込桶の向こうに大海原。海に浮かぶ船は軍艦?あるいは輸送船?想像をかきたてられます。

第二章の「蒸きょう」に60ページ!を費やすという熱のいれよう、素敵です。

小出氏の主張するところは、蔵癖と言っているものの正体は蒸きょう方法の欠点にあり、ということです。

釜の容量、コマの規格、蒸気圧、蒸気温度、蒸きょう方法についての記述は、他の酒造技術書を凌ぐ細かい指示があり、確信に満ちています。

しかし、この本の記述には、現在の酒造には見られない謎があるのです。

同じく蒸米にこだわった杉山晋朔氏も首をかしげた謎については、後日ということで・・・。

とにかく、この本には、金言の数々がちりばめられているんですよね。

その一例として、

「製麹法のみに重点を置くより、蒸米の仕上げに重点を置き、理想の蒸米を造ったならば製麹は予想外に楽であって又糖化の持続性を発揮するものである。」

「毎日病気の治療に専念するより健康で明朗の日を送ることを研究した方が一番幸福でないかと思う。麹の病気直しよりも其前から病気の起こらぬ蒸米を造ることを研究しなさい、病気なんか考えずに健康増進を考えて置きなさい。」

「病気の起こらぬ蒸米」つまり「完熟蒸米」とは何であるかについても詳しく書いてあります。

この本が出版されたのが、昭和15年。

アルコール添加が始まる3年前のことでした。

本の名前が「経済酒造法」という名前なので、顧みられることがない酒造技術書ですが、酒造技術書の中でも著者の熱い思いが伝わってくる読み応えのある名著だと思います。

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2008年7月24日 (木)

蒸きょう第一主義

昨日からの続きとなります。

「蒸米から見た酒造」は、決して「テム・レイの回路」なんかではありませんでした。

中村政五郎氏の「蒸米から見た酒造」を読み、激しく同意した人物がいました。

東京税務監督局鑑定部長の鹿又親(かのまたちかし)氏です。

ほぼ同時期に東京税務監督局管内において「蒸きょう第一主義」を標榜し、「蒸米の完全」を指導していたのです。

「蒸米から見た酒造」を読んだ鹿又氏は、「吾人は百萬の見方を得た心持がした」と言っています。

西の中村政五郎、東の鹿又親。

「櫂でつぶすな麹でとかせ」

鹿又氏は、この有名な言葉の発案者です。

酒造の根幹が「蒸米」にあるとする考えの二大源流。

「一に蒸し、二に蒸し、・・・」で知られる故・上原浩氏の師匠は、鹿又親氏の門下生の有松嘉一氏ですので、鹿又親氏の孫弟子ということになります。

余談ですが、戦前の造りに関して上原氏に質問したところ、「あんたは良く勉強しておる!」と言ってうまく逃げられたことを思い出します。戦前の造りをあまりご存じないようでした・・・。

東京税務監督局内では、「酒造工人必携」、「酒造工場管理法」などの実践的酒造技術書を毎年のように改訂・増補を繰り返しており、酒造技術が日進月歩で向上していた様子が見られます。

しかし、昭和14年に山形で行われた酒造大会直前に鹿又氏が急逝し、戦況の悪化により、精白制限、企業整備、アル添などが行われ、「質より量」の時代が到来し、造れば売れる時代が到来したことで、この「蒸米」を根幹とした酒造りは忘れ去られることになります。

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2008年7月23日 (水)

「明け取り式」は「テム・レイの回路」だったのか?

なぜ中村政五郎氏は自費出版という形をとってまで、旧式となっていた「明け取り式」を推奨したのか?

もう一度、「煮え取り」と「明け取り」の違いを説明します。

「煮え取り」とは、検蒸後、すぐに甑から米を取りだすという、現在行われている方法です。現在では、「煮え取り」という言葉が存在しないほど、当たり前の方法なのです。

これに対し、「明け取り」は、「夜中甑」と呼ばれた午前3時に甑から蒸米を取りだす方法の際、夜が明けるまでそのまま蒸米を甑に置いてから取り出す方法を指します。

両方の用語が出てくる文献として、「蒸米からみた酒造」が出版された約12年前、大正8年に熊本税務監督局内、鎮西税務研究会において発行された「通俗 清酒醸造法」があります。

時の熊本税務監督局鑑定部長は中村政五郎氏です。

さすがに中村政五郎氏の指導下にあっただけに「蒸きょう(米を蒸す工程)」の項目は詳しいのです。

しかし、「明け取り」に関して、避けるべき方法であるとし、「極めて無頓着な原始的醸造場の外は採用していない」と厳しい評価を下しています。

約12年間に何がおこったのか?

「日本酒復権への第一歩」で、野白金一氏との論争に敗れた話をしたことがありました。

ヒントはここにあります。

これが大正8年(?)に起こった「世紀の大論争」。「膨軟麹」と「硬縮麹」の論争でした。

この時は、野白氏の「硬縮麹」に軍配が上がりました。

酒造りの本場、灘の丹波杜氏集団から神様の如く尊敬されていた中村氏のプライドはズタズタにされたことでしょう。

いままでうまくいっていた「膨軟麹」の何がいけなかったのか?

灘地区と九州地区の米質の差、技術水準の違い、気候の違い、様々な理由があったと推測されます。

その中で酒造りの根幹とは何か?を自問した結果、失敗に学んだ中村氏の結論が「蒸米」だったのでしょう。

技術的な改善方法として、「明け取り」という忘れ去られた手法を蘇らせ、硬く蒸して熟まして軟化する、「硬蒸熟軟式法」を編み出しました。

当時の常識では考えられない方法だったので、活字にする必要があったのです。その使命感が素晴らしいですよね。

別に私利私欲のためではなかったのです。

「蒸米からみた酒造」

この本を受け取った人の反応はいかなるものであったのでしょうか?

理解できなかった人は、「こんなものを・・・」と言って、捨ててしまったかもしれないですね。

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2008年7月19日 (土)

「硬蒸熟軟式法」が普及しなかった理由

中村氏は、蒸米を仕上げる「硬蒸熟軟式法」を甑を利用する方法として唯一の合理的方法だとしています。

しかし、実行する人がいないと嘆いています。

この合理的な方法が受け入れられない理由として、「赤い蒸米は酒を赤くする」という伝説が全国に伝わっているためだとしています。

そこで中村氏はなぜ「赤い蒸米は酒を赤くする」という誤解が生まれたのか、を解説しています。

この伝説は丹波流が発祥であり、明治中頃までは「硬蒸熟軟式法」と同じ「明け取り式」であったということです。「明け取り式」は検蒸後、甑内に2時間ほど「熟まし(うまし)」をしておく方法です。

中村氏はいいます。伝説にある赤い蒸米とは「熟まし(うまし)」をしている蒸米を指しているのであり、白い米も同じく「熟まし(うまし)」をしている蒸米を指しているのだと。

それなのになぜ赤いのと白いのとの差が出たのか?

答えは、それは単に精米歩合の差だったのではないかと、米が黒いから生じた赤い米を指すのであって、「熟まし(うまし)」をしたことによって生じた赤い米を指すのではない、と中村氏は喝破します。

本を発行した当時、現在と同じく、「煮え取り式」と言って、検蒸後、すぐに甑から取り出す方式に変わっていたそうです。

中村氏は、「煮え取り式」に厳しい意見を持っています。

この方式を「伝説を誤解して得た空想から生まれて不合理方向に一歩進めた改悪法」であるとし、さらに「短時間蒸し」、「米置前掛水法」、「弱火力蒸法」などに脱線し、麹に酛にも醪にもまったく不適な「不消化性の濁白軟弱性蒸米」を生ずるに至ったとしています。

今日はここまでとします。

中村先生、本当に尊敬します。

明日は「蒸米からみた酒造」が出た背景に迫ってみたいと思います。

参考文献

蒸米からみた酒造」 中村政五郎著(昭和5年)

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2008年7月18日 (金)

平成版「蒸米からみた酒造」を読む

昨日からの続きです。

いきなり本題へ参りましょう。

中村政五郎著「蒸米からみた酒造」に書いてある良い蒸米とは?

「消化絶好軟強性」になっていること、なのだそうです。

世間一般に言われる「外硬内軟」に比べ、いまいちわかりづらい表現です。

中村氏の説明によれば、酵素の作用を受けやすい性質になっていること、つまり、デンプンは糖化されやすく、タンパク質も分解されやすい状態へ化学的変化をしている蒸米を指すのだそうです。

「外硬内軟」よりも化学的な発想ですね。

この状態の蒸米を得るためには、「蒸熟を煮え過ぎ的に完成」させなければならない、としています。

これは「蒸米が充分に透明性となり、光沢を出し本来の色を発揮し、弾力も充分に強くなり、軟粒でありながら捻潰し難く、捻り餅は切れずに長く伸びる」状態であるそうです。

それでは、どのように蒸せば良いのか?

①甑内を充分に高圧にする必用がある(完全蒸熟を目的とする)

 このために、甑の穴、コマの溝、竈の構造が完全である必要があるとしています。

②甑内蒸気の分布を均等にしなければならない(均等蒸熟を目的とする)

 このために、米の水切りを完全にし、米置きは湯が沸騰し蒸気の圧力が充分に強くなってから行うことにしなければならない、つまり、「抜け掛け」の発想がここに見られます。

蒸しただけで終わりではありません。

①、②で行われた完全蒸熟、均等蒸熟の条件を充たして充分に蒸した後、さらに「充分なる熟まし(うまし)」をしなければならない、としています。

熟まし(うまし)とは、どういう工程であるのか?

文脈から推測するには、甑に留め置くことのようです。

なぜ「充分な熟まし(うまし)」が必要なのか?

中村氏によると、軟強的蒸熟を目的とするとしています。

このことについて私は、「埋飯(いけめし)」と同様の効果があったのではないか、と考えます。

つまり、高温多湿条件下において蒸米表面のα化からβ化への変化を期待したのではないかと。

充分な熟ましにより、蒸米内部はα化であり、外側がβ化している状態、軟強的蒸熟の目的が達せられたのでしょう。

「外硬内軟」は、蒸し直後に達せられるものではなく、「蒸し+熟まし」がセットになって達成される蒸米の理想の状態だということになります。

以上の「硬く蒸して熟まして軟化」する方法を「硬蒸熟軟(こうじょうじゅくなん)式法」と自ら命名しています。

ちなみに、醪の発酵形式を指す言葉である、「前急後緩」、「前緩後急」は、中村政五郎氏の命名です。

しかし、「硬蒸熟軟(こうじょうじゅくなん)式法」は、徹底的に実行するものがいないと嘆いているように、あまり普及しなかった模様です。

本日はこれまで。

明日は、「硬蒸熟軟式法」が普及しなかった理由について書いてみたいと思います。

Photo 写真は、七右エ門窯の隣、平泉寺(へいせんじ)境内にある沙羅双樹。

白い花を一輪咲かせておりました。

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2008年7月17日 (木)

酒造の改良は殆ど頂点に達した

「酒造の改良は殆ど頂点に達したとも見られる」

昭和5年に配布された中村政五郎著「蒸米からみた酒造」の冒頭の文章です。

この本を読んだ鹿又親氏も、これに答える形で、

「現今醸造技術の進歩は最早極致に到達したとも謂われて居る」

と同様の見解を残しております。

私はこれを単なる技術者の思い上がりとは見ません。

「やっとここまできた」

伝統的な日本酒の酒造技術解明に貢献した二人の言葉の重みを感じます。

戦前、戦後と酒造技術を指導した杉山晋朔氏も戦前の吟醸が最高の品質であった、と述べております。

しかし、中村氏は当時の現状を次のようにも記述しております。

「あとくちの爽やかさを欠く酒、苦酸もしくは渋酸を感ずる酒、色沢が春には淡麗でありながら秋に至り濃進溷変する酒等が、未だ跡を絶つに至っていない。端的に云えば、進歩の裏に脱線も伴随して来て居るとも見られる。」

要するに、現在と同じような悩みをかかえていることがわかります。

とすると、酒造技術は、現在もたいした進歩がないのだろうか?などと考えてしまいます。

冷蔵管理が進んだ現在では、逆に、酒造技術の欠点が見えづらくなっているような気もします。

上記のような欠点を出さないために、酒造の根本である「蒸米」の重要性を説いたのが「蒸米からみた酒造」だったのです。

それでは、中村氏はどのような「蒸米」が良いとしていたのか?

続きは、またのお楽しみということで。

Photo 当店で栽培している山田錦の稲にカマキリがいるのを見つけました。

どこにいるかわかりますか?

自然の作用って凄いですね。

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2008年7月11日 (金)

蒸米原理主義者の聖典

山形県が生んだ、偉大な酒造技術者「中村政五郎」。

しかし、中村氏に関しては、あまり記録が残っておらず、現在の酒造業界においても、その業績が伝わっておりませんでした。

数少ない著書の存在は、東京税務監督局鑑定部長だった鹿又親氏の「工業酒造の確立」中の「『蒸米からみた酒造』を読む」という論文に書いてあり、ながらく探しておりました。

Photo 念願がかない、とうとうゲットいたしました。

昭和5年に、中村氏が自身の還暦を記念して、酒造りに捧げた人生の集大成をまとめ、知人に配布した本です。

酒造りの根幹が「蒸米」にあるとする源流がここにあるのです。

序文を読んだら、ただの頭でっかちの鑑定官ではない理由がわかりました。

経歴が凄いのです。

明治20年、18歳の時、蔵人として酒造りに従事し、23歳の時、一念発起し、蔵前にあった東京高等工業学校(東京工業大学の前身)に入学。

26歳で卒業後、また蔵人として酒造りに復帰。醸造学の最新の知識を得た中村氏は、技師として扱かわれたそうです。

30歳を過ぎて転機が訪れます。31歳の時、鑑定官になります。今度は蔵を指導する立場に変わったわけです。

その後、大正12年に54歳で退官するまで、鑑定部長を歴任し、日本酒の酒質向上に尽力したのです。

やはり、この人はただものではありませんでした。

灘の酒造りにも多大な影響を与えた「中村政五郎」。

もっと多くの酒造家たちにその名を覚えて欲しい人物です。

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