善秋

2010年5月10日 (月)

善秋忌

本日、5月10日は寒河江善秋氏の命日にあたる「善秋忌」になります。

昨年の5月10日にはキャッスルホテル山形において「ほんものを食う会」を開催させていただきました。

早いもので1年が経ちました。

その後、さまざまなところから反響があり、善秋氏の影響力の強さをあらためて実感することとなりました。

生前を知る人から聞いた善秋氏の独創的発想と卓越した行動力と人間性。

山形では狭すぎたんでしょうね・・・、山形で正当な評価が得られていないのは残念なことです。

亡くなって30年以上経っても慕われる人物って現在において存在するんだろうか、と思います。

現在でも立命館大学の秋葉武准教授が、善秋氏の業績について調べているそうです。秋葉教授も、かっこいい生き方だ、と書いていました。

もっともっと知られていい人物だと思いますし、おそらく知られることになると思います。

明日は定休日。善秋氏の眠る故郷、川西町吉島の仏性寺に行く予定です。

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2009年12月 9日 (水)

「ほんものを食う会」にまつわる不思議な話

何かに導かれていると感じることが間々あります。

今年の春に開催した「ほんものを食う会」に関しても、これは不思議だな~と思うことがありました。

これは「ほんものを食う会」の時も披露した話です。

「ほんものを食う会」の開催場所をめぐる不思議な縁。

まず、寒河江善秋氏が開催していた本家「ほんものを食う会」の開催場所は、西麻布一丁目にあった村上邸で行われていました。

今春開催した復活版「ほんものを食う会」の会場は、ホテルキャッスル山形「中国 櫻果林」さん。

山形市と西麻布、一見、何の繋がりもないですよね。

しかし、本家「ほんものを食う会」と復活版「ほんものを食う会」には、会場をめぐる奇妙な繋がりがあったのです。

どういうことかと言えば、このホテルキャッスルの経営母体が高級マンションの賃貸・売買を行っている「ケン・コーポレーション」であり、本部が本家「ほんものを食う会」が行われた西麻布一丁目にあるのです。リンク先の「KN西麻布ビル」の横が本家「ほんものを食う会」会場だったと思われます。そのくらい近いところにあるのです。

この一致にも驚いたのですが、さらに驚いたことには、ケン・コーポレーション本部は「港区西麻布1-2-7」に建っているビルであり、このビルは約20年前ほど前に私がビルの宿直のバイトをしていた場所だったのです。

当時はケン・コーポレーションとは関係がない、興和ビル(第何かは忘れましたが)と言って興銀系の不動産部門が管理するビルでした。

整理してみましょう。

本家「ほんものを食う会」が行われた西麻布一丁目に本部があるキャッスルホテル山形「中国 櫻果林」で、中国と縁が深かった寒河江善秋氏を偲んだ復活版「ほんものを食う会」が行われた。主催した六根浄店主は、かつて、西麻布一丁目の本部のビルで宿直をしていた。

この事実を知った時に、これは導かれているな、と感じました。

善秋さんが私に白羽の矢を当てた、と感じたんですよね。

それとも単なる偶然なんでしょうか・・・。

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2009年10月19日 (月)

ダムの中のダムはムダの中のムダ

タイトルは単なる言葉遊びで政治的な意図はまったくありません。

現在、山形で国が行っているダムの直轄事業として「長井ダム」があります。

来年の完成予定ということで、完成後は、大きな人造湖「ながい百秋湖」が生まれることになります。

既に試験湛水が始まったそうで、今まで使われていたダムが水没し、姿を消すという変わった現象が起こることになります。

水没するダムの名称は「管野ダム」。

このダムは約60年前に全国的に注目されたダムでした。

その当時は、「野川ダム工事」として注目されていました。

農家の次三男の雇用対策として全国に先駆けて発足した山形の「産業開発青年隊」がモデル青年隊として現場に入ったダム工事。

1952年5月のことでした。

当時、山形県は寒河江善秋氏を中心として青年団活動が活発で、自分達で積極的に社会矛盾を解決しようとする様々な試みをしていました。

「産業開発青年隊」もその一つ。後に青年海外協力隊へとつながる源流がここにありました。

しかし、青年隊に待ち受けていた現実は・・・。

1952年9月1日付の山形新聞は以下のように伝えています。

「産業開発青年隊の工場現場である野川ダムでは今一日から十二時間二交替の突カン工事に入るので、青年隊がもしこれに欣然参加してくれるならよし、さもなくば青年隊は下山してくれという意見となり、県青連では『それでは話がちがう、われわれは労務者たることが目的でない、働きつつ学ぶのが目的できた』と主張し、ここに問題は破局に当面するに至り、青年団としては、当局の口先の激励だけで実質的支援のない現在ではこの事業は困難である、残念だが一時解散して再起を図るかどうかについて慎重協議の結果、三一日午後五時山形で高桑、寒河江、本田の三幹部と堀田総務部長が面会、ギリギリの交渉をしたが、当局としては『解散はしてほしくない』といい、青年団は『そんならもっと本腰を入れてくれ』と詰めより、結局二日堀田部長と団幹部が現地を視察ついで県として正式に農林省と交渉し補正予算の内容を確かめ県の責任で予算確定前に支出できる金があるなら思いきって援助することを約し、一応最悪の事態を切りぬけた。だが青年団としては県当局のお座なりな支援に不満を表明している。……(中略)……高桑団長は『県も農林省も口先きだけで実のあることは何一つせず、世間には次三男対策を大きく宣伝しているが、私達はもうこんな口頭禅では我慢できない、こんな問題は一青年団のやれる問題じゃない、私達は限界を越えて頑張ってきた』と語った。」(法政大学大原社研HP 日本労働年鑑 第26集 1954年版「山形県野川ダムの青年隊の実態」より抜粋)

現場の仕事はハードで学習どころではなかったようです。

結果、全国的に注目を浴びたこの試みは、11月15日をもって野川ダム青年隊は解散となり苦い教訓を残すこととなりました。

しかし、翌年から農林省、建設省が青年隊事業に本格的に乗り出すことになったのです。

かつて注目を浴びた野川ダムこと管野ダムは、ひっそりと約60年の歴史に幕を閉じます。

産業開発青年隊構想を実現化させた寒河江善秋氏の名前を冠した「純米吟醸 善秋」。

平成20BYは残りわずかになってきました。

お早めにどうぞ。

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2009年9月 2日 (水)

「寒河江善秋遺作集」復刻を記念して

先週、川西町在住で寒河江善秋氏を師と慕う舩山達郎氏が「寒河江善秋遺作集」を復刻いたしました。

「寒河江善秋遺作集」は加藤登紀子さん直筆の善秋氏の俳句を集めた幻の俳句集です。

私は、今年は、「ほんものを食う会」、「純米吟醸 善秋」を企画した関係で、寒河江善秋氏のことを学ぶ機会に恵まれました。

とにかく、亡くなって30年以上経つというのに、いまだに慕う人たちがいることに驚きました。

オーラが違っていたというのでしょうか、いまでも毎日のように思い出す、とまで言っている方がいるくらいカリスマ的魅力にあふれた人物だったようです。

寒河江善秋氏の思想の根幹は、イデオロギーにとらわれない、自分自身が感じる実感を大事にし、物事に真摯に向き合い、実践していくことでありました。

立命館大学の秋葉武准教授の論文によれば、「『大人たちのつくった主義や思想』を否定し、自身で『実存』を確認しようとした。」

語弊があるかもしれないですが、私は善秋氏にパンク魂を感じました。

これはおかしいよ、ということを、堂々と表明し、自ら行動にしていく。

インターネットで、「半遁世(はんとんぜ)」について語られている文章が散見されますが、善秋氏が意図した目的と少しニュアンスが違う気がします。

インターネットに見られる「半遁世」の思想は、あくせくせずに気楽に生きようよ、みたいなユルい思想に見えます。

「半遁世」の思想は、金儲けや出世というような従来の仕事の目的を変更することで、職場での主体性を回復し、仕事をすることに喜びを見出すための心の在りようの提案なのです。

そんな「半遁世」の影響を受けた一人がシンガーソングライターの加藤登紀子さんでした。

善秋氏が開いていた陶芸コミュニティ(無相庵)での大勢の人との同居生活で陶芸三昧の日々を過ごしたそうです。

後日、加藤登紀子さんから善秋氏に「俳句の会を作りませんか?」という連絡が入ったそうです。

そこで始められたのが「吐火羅句会(とからくかい)」という句会でした。

善秋氏が亡くなってから、善秋氏を懐かしんだ加藤登紀子さんが句会での善秋氏の句を直筆で写し配布したのが「寒河江善秋遺作集」でした。

今回復刻した「寒河江善秋遺作集」は、加藤登紀子さん、善秋氏のご子息のご了承を得て世に出すことができました。

舩山達郎氏が書いた置賜農業高校前の句碑を建立した時のエッセーを加え、善秋氏の業績と人物像がわかる冊子となったのではないかと思います。

当店では、当店オリジナル「純米吟醸 善秋」をお買い上げいただいた先着100名様に配付いたします。

「純米吟醸 善秋」今後ともよろしくお願いいたします。

Photo

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2009年8月10日 (月)

真相はいかに

女優の酒井法子容疑者が逮捕された話題で、台湾や中国の人にインタビューをすると逮捕後でも好意的なコメントをしています。

本当に酒井法子容疑者は本当に中国・台湾で大スターであったのか?

本日、目の当たりにしました!

毎年、七右エ門窯に山形大学の交流生を連れてきてくれる台湾出身の推定40代の教授がいます。

その教授を店に招きいれ、質問しました。

「本当に酒井容疑者は向こうで人気あったんですか?」

「いやー(今回の件は)本当にショックだヨ。私達の世代には凄く人気があったんだヨ。」

「向こうの人が好む顔なんですか?」

「松田聖子とか・・・あと同時代で・・・。」

「中森明菜さんですか?」

「そうそう、松田聖子、中森明菜、酒井法子は人気あったネ。」

「そういえば加勢大周も人気あったとか?」

「え~、誰それ。」

以上が噂の真相のようです。

本日は、更におどいた事がありました。

「023」という山形のミニコミ誌の若い営業さんが、七右エ門窯が来客で忙しく、相手されないのでうろうろしていたのを見つけ、店に招きいれ(客引きはやってないですよ・・・)話をしました。

店の商品の紹介をし、当店オリジナル「純米吟醸 善秋」の説明をしたところ、「あの寒河江先生のことですか」と。

「えっ?」こんな若い人の口から、寒河江善秋氏の名が・・・。

よく聞けば、高校時代ボランティア活動をしており、先輩方から山形には社会活動の先駆者がいてよく覚えておくようにということを言われて「寒河江先生」という名を覚えていたんだそうです。

これも何かのご縁です。

「023」のプレゼントコーナーに「純米吟醸 善秋」を提供させていただく話となりました。しかし、採用なるかどうかは編集長が決めるとのこと、なんだそりゃ。

追記:やっぱり編集長の許可がおりなかったそうです・・・、なんだそりゃ。

プレゼントのテーマが「文化」。「文化」的じゃなかったんですね、当店の純米酒は・・・。

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2009年7月22日 (水)

荻の源蔵そば

山形の田舎そばを語るには、「あらきそば」、「源蔵そば」、「七兵衛そば」の3店を避けては通れません。

どの店も、「これぞ山形、田舎に来た~」と思わせる雰囲気があります。

味が個性的なので遠くから食べに来る熱烈なファンも多い蕎麦屋さんでもあります。

歴史的経緯はよくわからないですが、おそらく、伝統的に地元で食されてきた「米の代用食としての蕎麦」なので、つなぎを使用しないか極少量使用することで噛み応えのある腹にたまる蕎麦のスタイルとして確立された蕎麦なんだと思います。

江戸そばの粋な食べ方はここでは逆に野暮。

ガッツリ噛んで、ガッツリ食べて満腹にするのが流儀。

粋の代償として、原料である蕎麦の風味と甘味をしっかり感じることができるのです。

その中の一つ、昨日は、寒河江善秋氏と七右ェ門窯ともゆかりのある「源蔵そば」さんへ行ってきました。217212

東京で行われていた元祖「ほんものを食う会」で蕎麦を打った蕎麦屋さん。

店の中に入って座敷に入ると・・・、神棚下にどーんと迫力のある大きな字で寒河江善秋氏の書が書いてありました。

もちろん、何と書いてあるのかわかりません。

善秋氏のことをお伺いしたところ、おカミさんは、善秋さんのことを大変懐かしがり、「さきほどSさんが見えたばっかりなんだ」と言っていました。217213

Sさんはその名前から「抜作」と呼ばれ、善秋氏と親しかった人物です。

お通しでで出てきたのが、「わさびの葉のおひたし」。

しゃきしゃきして旨い。

器には七右ェ門窯の「梨青磁の刷毛目」。

ありがとうございます。山形の食に山形の器。

217214 趣のある店内。

飾り気があるというかないというか・・・田舎そのまんまです。217215

てんぷらは400円。

カリっと揚がって大変美味でした。

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もりそば850円也。

つなぎなしの10割そば。

細めですが、歯ざわりが良く、ボツボツと切れることがありません。この時期にもかかわらず、蕎麦の香りと甘味がしっかりとありました。

いい蕎麦です。

器は七右ェ門窯のもの。

途中、漬物やら煮物やらが出て来て、結構満腹になりました。

ここの特徴は最後の蕎麦湯。

とろとろポタージュ系。

蕎麦湯は濃いのに限る。

お酒は「東の麓」を置いてありましたので、「純米吟醸 善秋」の説明をしたら、初めて知った、とのことでした。

「純米吟醸 善秋」と蕎麦、合うと思います・・・って、ここで言ってもダメか。

217217 「源蔵そば」の外観。

山形そばを語る時には、欠かすことのできない蕎麦屋さんです。

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2009年7月13日 (月)

夜も寝れなくなっちゃう

昨日、寒河江善秋氏のご子息からメールがありました。

そのメールには画像が添付されておりました。Photo

地下鉄漫才で一世を風靡したあの春日三球師匠がにっこり笑って「純米吟醸 善秋」を持っている・・・。

サンキュー!三球師匠。

どのような評価をされるのか・・・、考えると夜も寝れなくなっちゃいますね。

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2009年6月11日 (木)

鮭野夢造将軍様・・・

朝から訪問者数が多いと思ったら、「鮭野夢造将軍様」で検索されてきているんですね。

何回かやり取りさせていただいて思ったのは、鮭野夢造将軍様のお酒に関する知識・造詣は非常に深い、ということです。これは確かです。

ただ、HP上での表現が過激というか、サービス精神旺盛というか・・・。

非常に賢い方のようですので、もしかしたら、こういった話題を自ら提供することで日本酒への関心を向けさせようとしているのかもしれないですね。

とばっちりを受けても嫌なので、この話題は以上で終わります。

久々に鮭ネタ、いや、酒ネタを一つ。

「純米吟醸 善秋(ぜんしゅう)」720ml2,000円Photo  山田錦100%使用 精米歩合50%

山形の生んだ偉大な青年運動家、寒河江善秋(さがえぜんしゅう)氏の名を冠したお酒。

ラベルをリニューアルさせていただきました。

和紙タイプにすることで高級感が増しました。

今回の瓶詰めしたものは前回より味乗りがよく、わかりやすい酒質となりました。

「旨すぎてズルいよ」

さきほどKさんが言った言葉に、今回の酒質の特徴が現れています。

本数限定ですので、お早めにどうぞ。

申し込みはこちらから。

21699 「純米吟醸 善秋」を造ったのは、写真にある宮内熊野大社の門前町にある「東の麓」さんです。

宮内熊野大社は日本三熊野の一つ。

でかい!思った以上に大きく、存在感のある神社です。

現在は隣接する双松公園のバラも見ごろを迎えているようです。

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2009年6月10日 (水)

川西町洲島

「ほんものを食う会」からちょうど1ヶ月。

昨日は定休日で、寒河江善秋氏の生まれ故郷、川西町洲島(すのしま)まで行って来ました。

生家は「マル」という呼び名で呼ばれていたそうで、昔、飼っていた犬が大変賢く、その犬の名が「マル」に由来するとのことです。戸川幸夫氏の直木賞受賞作「高安犬物語」に出てくる、幻の犬、高安犬だったと善秋氏は言っていたそうです。

善秋氏は川西町洲島を出て、東京へ活動の中心を移すことになりますが、現在は、生まれ故郷の洲島でひっそりと眠りについています。

善秋氏が眠るのは、洲島の仏性寺(ぶっしょうじ)。21691

八幡神社方面から見た仏性寺。

「ほんものを食う会」が盛況に終えたご報告を墓前にさせていただきました。

洲島は小さな集落で、茅葺の家などが現存し、なかなか風情のある場所です。

ただ、観光地でないため、ウロウロしていると不審者と思われかねないような雰囲気があります。21692

洲島の八幡神社。

21694歴史を感じる石畳。 結構長い。

21693_2私の八幡神社のイメージというと小高い丘の上にあるイメージなので平地に建っていることに多少違和感を感じます。

境内は清掃が行き届き、好感が持てます。 21696

洲島で有名なのが「小沼家のサイカチ」。

小沼家は戦国時代には伊達家の家臣で、戦国時代に戦に勝利する「勝」にちなんで植えられた、との説明がありました。

県内一の樹齢を誇るサイカチ。

宮城北部にも同時期のサイカチの古木を見ることができます。

宮城のサイカチには悲しい歴史が隠されています。豊臣秀吉による「奥州仕置」の後、伊達政宗の扇動で起こったとされる「葛西・大崎一揆」があり、秀吉から嫌疑をかけられた政宗は、一揆に加担した葛西家臣団を一箇所に集め、口封じのためだまし討ちし、殲滅させました。

残った葛西家の家臣団は、お家再興のため「葛西勝つ」の意味を込め、「サイカチ」を植えたとの伝承が残っています。

伊達政宗所領にまつわる陰と陽のサイカチ。

21697

その後に参拝した宮内熊野大社の大鳥居前にもサイカチがありました。

続きは明日。(続いたためしがあまりないですね)

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2009年6月 5日 (金)

「ほんものを食う会」その後

先月、わざわざ東京から「純米吟醸 善秋」を求めて、青年海外協力隊OBの砂田さんが当店へ訪ねてくれたことは「ほんものを食う会」でご紹介させていただきました。

その砂田さんが先週、青森の朝日新聞に記事になっていました。Photo_2

青森で「純米吟醸 善秋」を青年海外協力隊の仲間と飲んだとのこと。

正直、寒河江善秋氏のことを調べる前まで、青年海外協力隊のことはあまり知りませんでした。

砂田さんからお話を伺い、青年海外協力隊の活動が素晴らしいものであることを認識しました。

この活動が国主導ではなく、寒河江善秋氏や末次一郎氏などの民間人からの要請であったことに驚きます。

「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」

ケネディ大統領が就任演説で言った言葉を実践しているのが、青年海外協力隊活動だと思います。

西村直次氏や高橋成雄氏などの山形県出身者が青年海外協力隊の訓練所長を務め、山形県とも深い関わりがある活動なのです。

昨日、砂田さんから連絡があり、寒河江善秋氏の出身地である山形県川西町役場の総務課長さんが「今後、町として寒河江氏の事績を紹介して行く」との明言を協力隊関係者にした、とのことでした。

善秋氏再評価が着実にされつつあります。うれしい限りです。

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