ダムの中のダムはムダの中のムダ
タイトルは単なる言葉遊びで政治的な意図はまったくありません。
現在、山形で国が行っているダムの直轄事業として「長井ダム」があります。
来年の完成予定ということで、完成後は、大きな人造湖「ながい百秋湖」が生まれることになります。
既に試験湛水が始まったそうで、今まで使われていたダムが水没し、姿を消すという変わった現象が起こることになります。
水没するダムの名称は「管野ダム」。
このダムは約60年前に全国的に注目されたダムでした。
その当時は、「野川ダム工事」として注目されていました。
農家の次三男の雇用対策として全国に先駆けて発足した山形の「産業開発青年隊」がモデル青年隊として現場に入ったダム工事。
1952年5月のことでした。
当時、山形県は寒河江善秋氏を中心として青年団活動が活発で、自分達で積極的に社会矛盾を解決しようとする様々な試みをしていました。
「産業開発青年隊」もその一つ。後に青年海外協力隊へとつながる源流がここにありました。
しかし、青年隊に待ち受けていた現実は・・・。
1952年9月1日付の山形新聞は以下のように伝えています。
「産業開発青年隊の工場現場である野川ダムでは今一日から十二時間二交替の突カン工事に入るので、青年隊がもしこれに欣然参加してくれるならよし、さもなくば青年隊は下山してくれという意見となり、県青連では『それでは話がちがう、われわれは労務者たることが目的でない、働きつつ学ぶのが目的できた』と主張し、ここに問題は破局に当面するに至り、青年団としては、当局の口先の激励だけで実質的支援のない現在ではこの事業は困難である、残念だが一時解散して再起を図るかどうかについて慎重協議の結果、三一日午後五時山形で高桑、寒河江、本田の三幹部と堀田総務部長が面会、ギリギリの交渉をしたが、当局としては『解散はしてほしくない』といい、青年団は『そんならもっと本腰を入れてくれ』と詰めより、結局二日堀田部長と団幹部が現地を視察ついで県として正式に農林省と交渉し補正予算の内容を確かめ県の責任で予算確定前に支出できる金があるなら思いきって援助することを約し、一応最悪の事態を切りぬけた。だが青年団としては県当局のお座なりな支援に不満を表明している。……(中略)……高桑団長は『県も農林省も口先きだけで実のあることは何一つせず、世間には次三男対策を大きく宣伝しているが、私達はもうこんな口頭禅では我慢できない、こんな問題は一青年団のやれる問題じゃない、私達は限界を越えて頑張ってきた』と語った。」(法政大学大原社研HP 日本労働年鑑 第26集 1954年版「山形県野川ダムの青年隊の実態」より抜粋)
現場の仕事はハードで学習どころではなかったようです。
結果、全国的に注目を浴びたこの試みは、11月15日をもって野川ダム青年隊は解散となり苦い教訓を残すこととなりました。
しかし、翌年から農林省、建設省が青年隊事業に本格的に乗り出すことになったのです。
かつて注目を浴びた野川ダムこと管野ダムは、ひっそりと約60年の歴史に幕を閉じます。
産業開発青年隊構想を実現化させた寒河江善秋氏の名前を冠した「純米吟醸 善秋」。
平成20BYは残りわずかになってきました。
お早めにどうぞ。
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